女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
27号   pp. 2 -- 17

◆特集 シネマトーク



今回のとーくのメインは『森の中の淑女たち』と『阮玲玉』。 片や出演者の大部分が素人で、平均年齢76歳という女性たちのお話、 片や25歳の若さでこの世を去ってしまった中国の女優の作品と まるで異次元の作品同士のように思えますが、スタッフはこの二作品をどのように みたでしょうか。

 そして、最近映画の世界にもテーマとしてまたエピソードとして盛り込まれるように なったエイズ問題。その辺りを軽くさらってみました。

 ではウォーミングアップとして、この夏の一番の話題作『ジュラシック・パーク』 から。


参加者

  ☆佐藤 (五十代)  
  ☆出海 (四十代)  
  ☆外山 (四十代)  
  ☆宮崎 (四十代)  
  ☆勝間 (二十代)  
  ☆地畑 (二十代)  


●ジュラシック・パーク

地畑「この夏休みの目玉といえば、『ジュラシック・パーク』」

佐藤「このとーく終わったら子供と待ち合わせて観ることに なってるの。面白いんだって? でもあんまり話さないでね」

出海「スゴかったですよ。子供たちを連れて八月の上旬に 観たの。初回は混むでしょ。それで最終回に行ったの。並んでいたけど坐れたわよ。 ちょうど夕食時だからハンバーガーや飲み物を買い込んでね。ピクニック気分で ワクワクしました。子供たちも“損しなかったね”って大喜び」

地畑「どこがよかった?」

出海「とにかく驚かし方がウマーイ。足音がして 水面が揺れて…。恐ろしいじゃない。心臓が止まりそうだったワ。それから ラスト近くに恐竜の横断幕がヒラヒラ落ちてくるところがあるの。決まったね!!って 感じよ。中二の長女は本の虫なんだけど、CGのスゴさと音響にショックを受けちゃって。 終わって会場から人が出ていくのに私たち親子三人、坐ったまま興奮してしゃべりまくっちゃった。 人間の驕りと自然の力の軽視への警鐘。内容的にも感動的なものだったわ」

勝間「私、原作も読んだんですけど、長々と 逃げ回るところが原作はほんとに長いの。それが最高に面白かったんだけど、 映画だと二時間の長さの一時間くらい。端折っているところが少し残念だった。 でも目で観る恐竜の迫力がスゴイし…。合成とは思わせないつくりでしょ。 『水の旅人』は合成がすぐわかる(笑)」

地畑「私が感動した点は、出海さんと同じで 神が創ったものを人間がその域を侵していじってはいけないことまで追求してる点。 でもそんなところまでいかなくても、ある程度の年齢いった子供もスゴク 楽しめるし、大人も堪能できる。DNAの説明もよくされていてわかりやすかったです。 でもいいのかなあんなDNAをゴチャゴチャに混ぜちゃってなんてね。 映像や音響は今まで観聞きしたことないほどすごかったし、当日券二千円 払ってもいい映画だと思った。それに弱肉強食っていうか自然の定理に正直なのは、 この手の作品には絶対必要だと思うわ。恐竜は動物なのよ。カレーなんか 食べないの(一同爆笑)。それに、『フック』観た時、もうこの人 (スピルバーグ監督のこと)ダメかなってがっかりしてただけに、 この作品観てよかったです」

出海「あら、楽しかったじゃない。やっぱりあれも 子供を二人つれて観たけど、大ウケだったわよ」

地畑「ホント?」

出海「日本語版だったからかな。中年男性の映画よね。 あれ」

地畑「じゃあ吹き替えが上手だったんだわ。 内容も字幕よりわかりやすかったかもしれない。とにかく『ジュラシック・パーク』 はオススメです」

出海「恐竜が本当に身近に感じるようになりました(笑)」


●森の中の淑女たち


*スタッフ
監督
シンシア・スコット
脚本
グロリア・デマーズ、シンシア・スコット、デヴィッド・ウィルソン、 サリー・ボッシュナー
製作
デヴィッド・ウィルソン
撮影
デヴィッド・デ・ヴォルピ

*キャスト
アリス・ディアボ、コンスタンス・ガーヌー他

1990年カナダ映画

ドキュメンタリー映画で数々の賞を得て、その実力を認められているスコット監督の 長編劇映画第一作。
キャストは一人を除いて全員素人。しかも大まかな設定説明を受けただけだったという、 まさに彼女たちの人生経験が映画のすべてを作ったといえる画期的な作品。


1990年マンハイム国際映画祭グランプリ受賞
1990年バンクーバー国際映画祭大衆賞受賞
1990年クレテーユ国際女性映画祭大衆賞受賞
1990年ヴェネチア国際映画祭他 正式出品作品


○岩波ホールの特長

佐藤「私、観たのが一年前だから印象が 薄れてるかもしれない」

地畑「(手をあげて)ハイ、私一番最近観た人。 昨日観た。開映が十二時半で、けっこう早く着いたから、出海さんが教えてくれた 矢口書店に寄ってたのね。で、早いかなっと思って十二時にホールへ行ったら、 入場お断わりにギリギリセーフで入ったらしく、座れないっていうじゃない。 三十分前よ。冗談みたいと思った。で辺りを見回すと平均年齢六十歳の 女の人たち…」

佐藤「いいじゃないの」

地畑「それはいいんだけど、私補助椅子出して下さい! って係の人に詰め寄っちゃった。そしたらダメですなんて言われて。それでも しつこく言ったら一番前に出してくれた。後ろの方の席に俳優の大滝秀治さんがいたわ」

宮崎「私の時は二日目の夜だったけど、満員。 でも立ち見はなかったけどね」

出海「私は昼の三時半。八分の入りだった」

佐藤「岩波は、オバサンホールになったのね」

地畑「おバーサンじゃない」

出海「いい傾向じゃない。私の時も六十代くらいの 人たちばかりよ。ああ、いいおばあさんたちだなァと思っちゃったわ」

地畑「私も悪い意味でいったんじゃなくて 入るなりPTAの匂いがしてきたの(笑)」

出海「どんなニオイ?」

地畑「ちょっと言えないけど…。数少ない若年層の 観客のひとりとして、PTAの人たちに囲まれて観た感じ。男の人は五人くらい だったし、その人たちのほとんどが年輩の人」

佐藤「もう岩波は高年齢層のルートができてるのね。 私の友達なんて会員になって北海道から出てくるのよ」

地畑「でもね、私より後に来た人たち、次の回に 回されてた。立ち見させないのよね。帰らされてかわいそうだった」

宮崎「そうよ。『月山』だったかな。わざわざ 白馬から上京してきた友達をつれていったのね。でも入れてくれなかったの。 椅子出してなんて言えなくて。“長野県から来てるんですけど”って頑張ったけど “ダメです”って」

地畑「少し冷たいよね」

宮崎「でも、言ってみるモンね(と感心して) それだけ年輩の人たちの観る映画が少ないってことなのかな」

※それから岩波ホールは「老人館」だとか、来てる人は「オバタリアン」でなく 「知的オバサン」だとか…。自分たちのことはすっかりタナにあげて大笑い…。

佐藤「でも老人は千円っていうことはいいことよね」

地畑「そういえば、新宿のシネマミラノって外国人割引が あったと思ったけど」

出海「エッなんで。じゃあ私たちだって働きに来てますって ウソつけば千円で入れるワケ?」

佐藤「何で調べるの?外国人登録証?」

地畑「私が行ったときは外国人っていったって、 欧米人っぽい人しかきてなかったからねぇ。制限あるのかな?」

佐藤「なによそれ、差別じゃない」

地畑「よくわからないけど、あったわよ」

出海「じゃあ外山さん。夫のBENさんを連れて 行きなさいよ。でも、彼だけ入れて『あなたは割引ダメ』って言われたらシャクね」

外山「ウン、ウン」

佐藤「とにかくシネマミラノの方は、よく調べないとネ」


○映画入場券は高すぎる

外山「でも、シニアには、私たち少し期間があるしね」

地畑「だいぶありますよ(笑)」

佐藤「いや、でもそろそろ私、シニアの扮装して いこうかと思ってね(一同爆笑)私白髪のカツラ買おうかと真剣に考えてるわよ。 それから、チケットを安く売る店ってあるでしょ。この前『秋菊の物語』を 三百円で買ったわよ。(一同エッーと大声)」

宮崎「どこで?!」

佐藤「池袋よ。私そこへ行くと感激しちゃって ビール券なんかバンバン売っちゃった。98%くらいで買ってくれるのよ」

外山「とにかく日本のチケットは高いわよね。 だから生活防衛のために安売り店を利用するのが利口なやり方ね」


○映画内容

宮崎「私、悪いけど、ちょっと寝てしまったんだけど」

地畑「演技は俳優でないけど、よかった。でもあまりに 先の話だなァ…と、遠い感じがした。でも、いい映画だとは思った」

出海「全然何言ってるのかわからない」

地畑「他の世界の話って気がしたの」

出海「じゃあなたにとって、つまらなかったのよ」

地畑「それとは違うな。いい映画だったの。でも 感情移入がね、あんなにいろんなキャラクターの人がいてもだれにも入れない。そうそう こういう人いるよねって面白かったけどね。それから風景はもう少し綺麗に 撮れたんじゃない。もうちょっといい色を期待してたんだけど」

出海「私はどんよりしたのがねらいだと思ったけど」

地畑「この監督って風景は二の次なんだと思えた。 ドキュメント風といっても一応劇映画なんだから、もう少し何とかすればいいのに」

出海「それでいい映画なの?」

地畑「ある年代以上の人が観たらね」

外山「あれはね、現実の世界から一時離れた静かな 森の中で、自分のことを見つめ直すじゃない。薬を捨てたり…。だから生きることを 学ぶことによって、死を学ぶみたいなことを言いたいんじゃない?」

出海「私ね、帰りのエレベーターの中で、 映画に出てきたおばあさんたちと同じ位のお年寄りたちが『いいわよね、森の中に いる時は。でも帰ったら地獄よね』って話してるのを聞いてドキッとしたの。 同年代の人が観たら、あまりに寂しい話なんだ。だからあの映画は四十、五十代の 人たち、まだ老いに少し余裕のある人たちが観るといいと思ったわ。だけど 老若男女すべてに喜びを与えてくれるかどうかというとちょっとね…。 本当にいい映画なのかな」

佐藤「五十になった私なんかが、老いの準備として 観ると、なるほど…と勇気づけられる」

外山「私はね“森を出たら地獄”とは思わない。 森があったから街での生活も新しくスタートできるって、希望的に考えるわ」

出海「淡々とした生活を送ってきたお年寄りでも ひとりひとりを拡大してみるとみんなそれぞれの人生がある…ってことを淡々と 描いたものなのね。
私たち、お年寄りというと、すぐ介護問題とか、一方じゃサークル作りとか 友達つくって明るい老人とか、まるで幼稚園生を扱うような感覚で半人前に とらえる傾向があるじゃない。どうしてかわからないけど。だから、老人の感性を 大切にしてひとりの人間として観る映画は、それなりにとても日本では 貴重だと思うけど」

佐藤「『八月の鯨』もそうだけど、魅力ある おばあさんよね。それにユーモアもあるしね。あのパンストの釣りとか」

宮崎「お年寄りがみんな素人で映画の中で話すことも 自分のことをしゃべってる、そのつくりは面白いわね」

地畑「レズビアンの人、黒人、インディアンの人、 バラエティに富んだ人たちって、日本だとそんな見つからないじゃない」

宮崎「いるわよ。探せば」

出海「でも、つくる人がいない」

宮崎「企画持ち込んでも、地味すぎてダメですって言われる」

出海「これを岩波ホールでやって、岩波ファンが観るという ゴールデンルートのおかげで私たちも観ることができた」

宮崎「こういう映画好きだけど、寝てしまう…。スミマセン」

出海「でも映画っていいなあ…とワクワクするものでは ないわね。それに“つまらない、観て損した”って言っちゃいけない雰囲気が 岩波周辺に立ち昇ってるでしょ」

地畑「確かに漂ってる」

佐藤「そんなこと被害妄想よ」

外山「私は感動したわ」

佐藤「私、映画観るならこういうのが観たい」

出海「相性の問題かもね」

地畑「そう、でも誰も悪くはいえない映画だとは思うけど。 ということで次にいきましょう」


*とーくの中でこの作品の男性版はないのかしら?ということが話題になりました。 折しも今年の東京国際映画祭でヤングシネマ部門ゴールド賞を獲得した『北京好日』 がそれにあたると思います。
 『北京好日』は中国映画祭93(上映館テアトル新宿)にて12月18日から 24日まで上映されます。



●ロアン・リンユイ 阮玲玉


*スタッフ
監督
關錦鵬(スタンリー・クァン)
製作
陳白強(ウィリー・チェン)、徐小明(ツイ・シュウミン)
製作総指揮
何冠昌(レナード・ホー)、成龍(ジャッキー・チェン)
脚本
邱戴安平(ヤウ・タイオンピン)、焦雄屏(ペギー・チュウ)
撮影
潘恒生(プーン・ハンセン)

*キャスト
阮玲玉(ロアン・リンユイ)
張曼玉(マギー・チャン)
蔡楚生(ツァイ・チューション)
梁家輝(レオン・カーフェイ)
唐李珊(タン・チサン)
秦漢(シン・ハン)
黎莉莉(リー・リーリー)
劉嘉玲(カリーナ・ラウ)
張達民(チャン・タミン)
呉啓華(ローレンス・ウン)
林楚楚(リン・チューチュー)
葉童(セシリア・イップ)
黎民偉(リー・ミンウェイ)
李子雄(ウェイス・リー)
阮玲玉の母
瀟湘(ショウ・ション)

1991年香港映画

1991年台湾・金馬奬・最優秀主演女優賞受賞
1991年台湾・金馬奬・最優秀撮影賞受賞
1992年ベルリン国際映画祭・最優秀主演女優賞受賞
1992年シカゴ国際映画祭・最優秀監督賞受賞
1992年シカゴ国際映画祭・最優秀主演女優賞受賞

關錦鵬(スタンリー・クァン)監督

1957年、香港生まれ。TVBのアーチスト訓練コースで学び、アン・ホイ、 ジャッキー・チェンなど有名監督の助監督を経て、85年の『女人心』で監督デビュー。 作品の大半は女性の心情を描いたもので、注目の俊英。他作品に『地下情』、 『ルージュ』、『フルムーン・イン・ニューヨーク』がある。


阮玲玉(ロアン・リンユイ)

中国映画史上第一黄金時代といわれた1930年代前半の上海映画界でのトップスター。 出演映画は28本。華やかな映画女優の人生と裏腹に私生活は恵まれない環境と 不運の連続で、わずか25歳でその生涯を閉じてしまった、今もその名を残す伝説の 大女優である。



二回目はより感動できる素敵な作品

地畑「では、香港映画の『阮玲玉』です。あまり 香港映画を観ない佐藤さんからどうぞ」

佐藤「阮玲玉を演じていた女優さん(マギー・チャン) が非常にきれいで、ジャッキー・チェンの映画とか観ていないので、彼女を 観たのは初めてだったの。この映画は予備知識なしで行ったんだけど、普通の 物語を追う形式だと思っていたら、阮玲玉本人の映画のシーンと今演じているシーン、 そしてスタッフや関係者のインタビューとかが入ってて、場面がいったりきたりするから 感動の波が切れちゃうのよね。それがちょっと気になったわ。面白い手法だと 思ったし、私はドキュメントが好きだからよく分かる気がしたんだけれども、 映画を見慣れていない人にはちょっと慣れない画面だと思う。あと、蔡楚生(ツァイ・ チューション)監督を演じてたレオン・カーフェイも素敵だったわ」

宮崎「私も去年の東京国際映画祭で観た時には、 中国の映画の本によく阮玲玉の名前が出てくるから、名前だけ知ってたんだけど、 周りの監督とか女優さんのことは知らなかった。リメイクシーンとか インタビューとか出てきて、戸惑ったんだけどその後実際の阮玲玉の作品を観て 辻褄があったの。でもこの映画、二回目を観てすごい映画だなと感じた。だから、 去年のベスト20には入れなかったけど今年のベスト20には入れようと思ってる」

勝間「私は去年のベスト20に入れました。今年も観て、 またもや今年のベスト1になりそうなくらい。ふたりが言ってたように私もやっぱり、 一回目はマギー・チャンがあまりに綺麗で、彼女にばかり感動してしまって、 周囲の人物とか状況は分からなかった。でも、二回目では変わった手法も ぜんぜん気にならなかった」

地畑「私はこの手法は気にならなかった。よく 女優の人生を描いたものって、女一代記みたいになって単調になって、 演じてる女優とモデルの女優の比較になっちゃう。その点でいえば実験的だけど、 この手法には好感が持てたのよね」

佐藤「確かに。はじめは筋を追うだけで、 知識もなかったから戸惑ったけど、もう一度みれば映画として入り込めると 思うわ」


洗練された美しい映像に惹かれる

宮崎「舞台は東洋のハリウッドと呼ばれた時代なのよね」

佐藤「ノスタルジックなダンスのシーンが素敵だった。 マギー・チャンの手のしぐさも色気があって。チャイナ・ドレスがセクシーで、きれいだし、 思わず私もチャイナ・ドレスを買いたくなったわ」(一同笑)

地畑「関係ないけど『マルコムX』のダンスシーンも えらくきれいだった。ダンスシーンを美しく撮れる監督っていいと思わない」

出海「そういえば『ボンヌフの恋人』のダンスシーンも すごくよかった。ビデオで何回も巻き戻して見直したもの」

地畑「ダンスシーンをうまく撮れる人って いい監督の条件かもしれない」(笑)

宮崎「台湾人の人とこの映画を観た時、彼が言ってたのは、 ヨーロッパ的なムードがあって、お洒落ですごくよかったっていうこと」

地畑「それに繋がるんだけど、香港映画というと ジャッキー・チェンとかサモ・ハン・キンポーとかユン・ピョウとかチョウ・ユンファの イメージがあるでしょ。私は彼らのアクションものも大好きだし、すごいと思って ほとんど観てるんだけど、中には欧米指向、特にヨーロッパ映画をやたらに 贔屓する人たちで、彼らの作品を小バカにしてる人いるじゃない。そういう人たちにこそ この映画を観て心を改めてほしい。ついでに『欲望の翼』とかもね。 日本の監督さんたちもこれ観て研究してほしいと思った。それにこの監督 (スタンリー・クァン)、女優の撮り方がきれい。女性の心理もよく撮られているしね。 すごい感性を持った人だと思う。女性監督だから、女性をうまく撮れるっていう わけでもないし。確かに香港のヤクザもの映画が多い中で地味だとは思うけど質は 非常に高い作品だと思う」

勝間「お金をせびる阮玲玉のはじめの愛人が、 弁護士のもとでの話し合いのあとさびしそうに線路を歩くシーンとか、蔡楚生監督が 阮玲玉のお葬式で泣きくずれるシーンとかがあるでしょ。そんな彼らを演じてる俳優が ディスカッションでは演じた人物を批判しているシーンもある。そんなシーンを 含みながら、こんな情けない男の人たちをその環境とか立場も描いて、温かい目で 撮っているところがよかったと思う。もちろん女性を描くのが上手なのはわかるけど」

地畑「映画をつくりものだっていう観点で撮っている ところもよかった。観客が思い思いに好きなように解釈して下さいっていうか。 私自身、この映画はこういうものだからこういうふうに思いなさいって押しつけられるのが 嫌いだから」

宮崎「一つ不満があるといえばカリーナ・ラウが 演った黎莉莉(リー・リーリー)っていう女優さんがいたでしょ。老いてからの 彼女を映したビデオが汚い。あの画像だけなんだか汚かったのよね。綺麗な人だったのに。 さすがのカリーナ・ラウも“私も年とったらあんなになっちゃうの”って口走ってたでしょ」

佐藤「あまりに自然すぎて。当時の思い出を聞くって いっても少しくらいの演出はした方がよかったのにね」

勝間「でもわざとそういう映像を使ったのかもしれないわよ」

佐藤「衣装とか、全体の映像が美しくてのまれてしまう 感じよね」

地畑「それにこの時代を舞台にしたなら、やろうと 思えば、政治的背景とかガンガン入れられると思うんだけど、そんなに押しつけがましく 出していないのもよかった」

宮崎「そこはかとなく時代背景が伺える所がうまいと 思った。逆にこの映画を中国で撮っていたらまた違ったものになったとも思うし」


阮玲玉の生き方をどう観るか

佐藤「阮玲玉って日本の原節子みたいな存在なのかしら」

地畑「いや、もっとじゃない。田中絹代以上じゃないかと 思う」

佐藤「阮玲玉は最後まで自分の生き方を貫いたと 感じたかしら?スキャンダルが死ぬほどのものかなとちょっと疑問もわいたんだけど」

宮崎「今の感覚だと疑問もわくけど、5、60年も 前のあの時代だと耐えられないものがあったと思うけど」

地畑「阮玲玉を演ってたマギー・チャンも言ってたわよね。 “私は分からない。自殺は敗北だから”って」

佐藤「そうよね。死ぬほどのことかなと感情移入させて わかろうとしたんだけどちょっと無理だったみたい」

地畑「逃げ場所のない人だったのね。男運も悪いし」

佐藤「真面目すぎて、いつも自分の生き方に不安を 抱いていたのね。ある意味では賢い人だったんだと思うんだけど」

宮崎「もっと世渡りがうまかったら、死ぬことは なかったと思う」

地畑「女優の一生として観ても悲しかったけど、 一人の女の生き方としても悲しかった」

宮崎「北京語をうまく話せなかったというのも 悩みの一つだったみたいね」

勝間「阮玲玉に“あなたは眉を書くのに一時間 かけるんですってね”って近づいてきた若い女優がいたけど、あの場面はまるで 『イブの総て』みたいで、実在の彼女がいうには阮玲玉は当時の私に追い抜かれるんじゃ ないかと心配していたんですって言ってでしょ。それも阮玲玉の不安の一つだったように 思う」

佐藤「わかる。才能のある若い人が自分を 追ってくるっていう不安は俳優ならあってもおかしくないもの。みんなの 話聞いててやっとわかったわ。阮玲玉が苦しかったわけが。スキャンダルも あるけど、演技面や言葉の問題とかいろいろ組み合わさっていたのね。でも、 いろんな監督が出てきたんだけど、どの人がどんな作品を撮っていたかくらいの 予備知識がないとわかりづらいわね。そういうところを知っていればもっと よく観れたのよね」


リサーチが素晴らしい

地畑「それにしても今生存している当時の彼女に かかわった映画人をよく探したと思いますよ」

佐藤「本を書くようなものだものね」

宮崎「蔡楚生監督だって文化大革命の時に 亡くなっているし」

佐藤「そうね。出てきたわよね。何人もの人が 文革の時に亡くなったって」

宮崎「原案を作った焦雄屏(ペギー・チュウ)って 台湾の女性評論家もすごい知識量だと思った。台湾なのに中国のことよく知っている。 この人ってホウ・シャオシェンとかエドワード・ヤンをバックアップしたような人らしいけど、それにこの映画、製作総指揮がジャッキー・チェンでしょ。びっくり」

地畑「マギー・チャンが主演だしね。そういえばこの 作品ゴールデン・ハーヴェストの作品なんだよね」

宮崎「ジャッキー・チェンってアクション映画だけ やってるわけじゃないのよ」

勝間「彼女、出だしはアイドルだったけど、 『客途秋恨』にも出てるし、ほんと演技派になったもの」

佐藤「女優も監督とか映画の質とかで変ってくるのよね」

地畑「そうね。マギー・チャンはラッキーだったと思う。 それから、この作品けっこう大金かけてると思うわ。あれだけのリサーチだもの。そりゃ 『ジュラシック・パーク』のかけかたとは違うけど」

佐藤「リサーチ一つとってみてももう一度観てこの映画の 深さを味わわなくちゃいけないわね」


アジアの映画から目が離せない

佐藤「この作品でアジアの映画に目覚める人が たくさんできればいいけど」

地畑「発言力のある評論家がもりたてて香港映画の トレンドをつくってほしいと思うんだけど」

宮崎「そうね。チョウ・ユンファだってアクションもの だけじゃない。コメディから『風の輝く朝に』のような作品まで幅広く出ているんだし」

佐藤「そう、その映画。とってもよかったわ。でも、 97年の中国返還で香港映画は変らないかしら」

宮崎「今だって中国、台湾、香港の映画人は お互いの作品で交流もってるから大丈夫だと思うけど」

地畑「そう。コン・リーだって香港映画にも 出てるしね。だからこそ、これからだってもっと見応えのある作品を期待できる。 香港・中国・台湾を含めアジアの映画から目を離せないと思いますよ」



●エイズにふれた映画について

 映画の世界で、今エイズと向き合っている人といえば、彼自身もそうであるように 自作の中に同性愛のテーマを盛り込むのが特長である、デレク・ジャーマン監督だろう。 彼は'87年にHIV感染を宣告されたそうだが、彼の作品にはストレートにエイズに ふれるものは感じられない。それはたぶん彼自身がニューズ・ウィークでいっているように 「個人レベルにこの問題をもっていくと感傷的になってしまう」と感じているからだろう。 確かに彼がいうように「友人や自分がこの病気で死に至ったら、そんなこといってられない」 「この病気と共に生きるのはとてもつらい。もしかしたら、死んだほうが楽かもしれない」 「私には思い残すことがないから」というのが正直なところなのかもしれない

 しかし、彼のように強靱な精神の持ち主ならここまでの死を恐れない境地に 至れるのだろうが、この病気に感染した多くの人、またそうでない人にとってはとても この境地に行き着くのはたいへんなことだと思える。(私は、“ぼくの命を救って くれなかった友へ”を読んだときにこれを感じたのだけれど)

 ちょっと前までは、彼のような同性愛者とか、麻薬に侵された人たちといった 一部の人だけに関わりがあると思われていたこの病気が、今や異性間性的交渉で その感染率を伸ばしていることは、周知の通りである。そしてこの病気が及ぼすのは、 病そのものだけでなく、性意識をはじめ偏見、差別といった社会的意識までに至る。 むしろこの後者の方が特に日本では、問題になるかもしれない。宮本亜門さんが 朝日新聞でいっていたように、このエイズに一番生に反応し、メッセージ性の 強い作品群があるのは演劇の世界だろう。

 ここでは、映画に目を移して、どんなふうに映画という一作品としてこのエイズという 病気を、そして社会的な意識や生について描いているかを、観客として感じたままを ざっくばらんにとーくしてみた。


■野性の夜に

批判されない作品を一般客はどう観る?

地畑「では、次はいつかは取り上げなければと 思っていたエイズを扱った映画についてです」

佐藤「私が観たわけじゃないんだけど、友人が エイズキャンペーンに乗っかってたせいもあったとかで、メッセージ性の あるものだと思って期待してたらしいんだけど、乱交みたいな性描写が激しくて、 芸術的だったらまだ観れたかもしれないけど、なんだか受け付けられなかったらしいのね」

地畑「確かにそうとられてもしょうがないかもね。 それにしてはロングランしてる」

佐藤「評判が先に立っちゃって」

出海「そう、週刊誌とかでも見かけたしね。 主演女優のインタビュー読んだわ」

地畑「そう、セザール賞をとったっていうのもあるしね」

勝間「純粋に愛する少女と出会って、絶望から救われる みたいな宣伝だったのよね。でも、彼女は純粋に彼を愛してるんじゃなくて、 彼女は純粋に彼とのセックスを愛しているとしか私には観られなかった」

地畑「上映館がシネマ・ライズだからね。 おしゃれっぽいとかいう感じで、お客さん呼ぶには成功だとは思った」

勝間「それに瀬戸内寂聴さんが誉めてたのよね」

佐藤「そう、それそれ。さっきの友達が観に行ったわけって」

地畑「評論家の人も批判しないと思う。賞とってるから」

佐藤「じゃあ、『森の中の淑女たち』と同じじゃない。 テーマがテーマだから悪く言えないのね」

地畑「で、撮った人が亡くなったっていうのもあるんじゃない」

出海「でも、そういうのいいのかな」

佐藤「よくないわよね」

地畑「そう、そう。で、その初めてのセックスの時、 もう彼は感染してたのに、知らされなかったの彼女は。うつっちゃったかもしれないのに」

佐藤「それはヒドイんじゃない。非道徳的じゃない」

地畑「で、彼女は半狂乱になるの」

勝間「監督が主演して、自分と同じようなエイズに感染した 男を演じてるのよ」

出海「ほんとに彼女も感染したの」

地畑「なにいってるのよ。本当にセックスするわけないじゃない。映画なんだから」

出海「あっ、そうよね」(一同爆笑)

勝間「でも半狂乱になるけど、結局その主人公が 好きなわけだから、離れないでウダウダくっついて…」

地畑「よくあるフランス映画の行きつ戻りつの 恋愛ドラマなのね。そこって。結局最後は彼は生きることの喜びを解り彼女とも 和解し合うんだよね。彼女がうつらなかったっていうのも救いになってたと多分に 思うけど」

出海「それ、みんな会話で進んでいくんでしょ」

地畑「いや、スピーディーじゃないけど、けっこう ハードなシーンが多かった。さっき言ってた橋の下のシーンとか、ネオナチみたいな 輩も出てきて…」

出海「で、どうして主人公は、前向きに生きていこうっていう気になったの」

勝間「彼女が半狂乱になってしばらく離れてた後に、 電話したときに、ジュ・テームっていう言葉を口について出たの。それで 一気に快方に向うというか…」

地畑「私が気になるのは、事前に感染してるって 言わなかったのって、ねぇ。時代が80年代でカミングアウトが浸透してなかったと いっても、ひっかかるの、そこ」

出海「そうよ。アメリカじゃ殺人罪だとかいって 訴えられている人もいるのに」

勝間「私は、いかにも純愛を前に押し出しての宣伝も 気になったけど、主人公の彼がゲイでもあるから、男漁りする場面が出てきて、 そのシーン現実かもしれないけど、ちょっと獣って感じがして。別に私はゲイの人が 嫌いってわけじゃないんだけど。なんでこの人たち、こんな見境いのない行動を するのかなって、理解できなかったわ」

地畑「世の中なんだか、エイズに関してとかで 『野性の夜に』入れてて、このとーくにも入れたんだけど、この範疇に入れると ちょっとキツイ作品だと思った」


■ロングタイム・コンパニオン

人に薦められる良心的な作品

地畑「これは私が去年のベスト20に入れた作品で、 どうしてよかったかは25号に書いたけど、 タイトルからも分かると思うけど、共に生きる。生きるということを学んでいく ということが、良心的に描かれてたからかな。今まで好き勝手に生きてた人たちがね。 主人公の一人がエイズになって入院する。お見舞いに行った一人が感染者のキスを 受けるんだけど、思わずすぐにキスをうけた首筋を大丈夫なのに水で洗っちゃって、 自己嫌悪に陥るとか、結構細かい場面もあって、心に沁みましたね。あと、 一番感動したのは、病院で介護を受けてた恋人を自宅介護に踏み切る中年カップルかな。 感染者の症状も、脳を侵され、失禁したりとかマニュアルじゃなくよく描かれていたし。 この二人のシーンは涙が出た」

佐藤「そういう映画の方がいいわ」

地畑「あと、一人女性が出てきてボランティアを するんだけど日本と現状が違うんだと思うんだけど、ネットワークの濃さとかね。 映画館で観た時、在日の外国人の人もわりと来てたし、私と同じように泣いていた人 いたわね」

出海「ゲイだとかホモセクシュアルだとか関係なしに 性別なしにってことね。女性だってそうなってくるかもね」

地畑「そう。エイズにかかって初めて分かった生が よく描かれてて。私はとってもいい映画だと思ったの。まあ同性愛者の人たちから 観れば、甘いとか現実を直視してないとかいわれるかもしれないけど、世の中ストレートの 人も大勢いるんだから、そっちの観点で観てほしいなと思った」

宮崎「私もそう思ったけど、たまたまレズビアンの 人に話を聞いて、この作品はゲイの人たちが主人公だから、ものすごく感動したと いうわけではなかった。映画自身、共に生きるっていう意味ではよかったとは思う。 ただ、『らせんの素描』を観たとき思ったのと同じようにゲイの人の中でも、 介護する立場とそうでもない人という立場があるというか、受け身の人とそうでない 人というか…、そういうパターンが出ているなとは感じた」

出海「わかる、わかる」

地畑「それを避けるために、三つくらいのカップルを 出してうまく組合わせてたと思うんだけど。あと、差別という点で俳優の人が いるんだけど、彼がゲイと分かったらとたんに役を降ろされたりとか。エピソードと してはリアルな所もあった。さっき言った中年カップルのシーンといい、 私は気持ちよく観れた映画だったです」


■私を抱いて、そしてキスして

異性間感染の時代になった怖さ

地畑「次は、日本映画です。『地球っ子』もあるけど、 ストーリー性があるということでこちらを先に。これ東映の作品で主演が南野陽子で 『寒椿』路線かなと思って、ちっとも期待してなかったけど、そんなにヒドイ映画じゃ なかった。前半はちょっと、マニュアルっぽくていろいろ教えてくれるんだけど、 これも『野性の夜に』と同じで、セックスの時自分が感染してるっていわないのよね。 いくら弱い女の子でもね。ちょっとね」

出海「だめじゃない、それじゃ」

地畑「で、相手の赤井英和が怒る、怒る。 勝手にしろって出ていっちゃうのよ」

佐藤「勝手にしろっていわれても真っ青よね。 映画だからいいけど」

出海「死ぬか生きるかなのに。で、どうやって 南野は感染するの」

地畑「学生時代に付き合っていた彼から移ってたわけ。 彼は、なんだか輸血でうつったってことで。で、彼女が社会人になって付き合った男が 太川陽介なんだけど、太川に言われて僕はエイズに感染してたんだけど、君から 移ったらしいっていわれて、彼女はエイズ検査にいく」

出海「検査行くだけでも精神的には大変よね」

地畑「で、太川の新しい家族、奥さんからも 電話がかかってきて、あなたのせいで私も子供も感染した。あんたなんか 殺してやるっていわれる」

佐藤「当たり前よ。え〜、みんな感染しちゃってるの。 とんでもないじゃない。そっちの家族のほうが悲惨よ。スリラー小説みたいだわ」(笑)

出海「三分の一の確率で、感染した子供が産まれるって いうけど、大丈夫だったの」

一同「よく知ってるわね」

地畑「そう。なんだか相手の男赤井にも、 子供にも感染しなかったというのが救いになってて。で、南野が死んで終わりなんだけど、 子供の面倒は俺が一生見るとか」

佐藤「出来すぎの男ね。赤井英和が出るのね。 イイじゃない」(笑)

出海「で、南野が入院するシーンとか、赤井が 看護するシーンとかは」

地畑「ないない。子供産んですぐ発病してそれから 一年後とかテロップがでちゃって」

出海「そこが今社会で問題になってるとこなのに。 ちっともコンパニオンになってないじゃない」

宮崎「そういえば、『地球っ子』だって、 別居してた夫と妻が和解するのよね」

地畑「八十年代までは同性愛者とか一部の人だったのが、 九十年代になって、異性間感染が八割になったとか、治療中で感染した『静かなる決闘』 みたいなお医者さんが出てきたりとか勉強にはなるところはあった。厚生省と財団法人 エイズ予防財団の推薦があったのはこういうことからなんだと思うけど」

出海「もっと知ってる?女性の方が男性より100倍も 移る可能性があるのよ。女が感染してて性交渉があっても男は一回くらいじゃ 感染しない。百回くらいじゃないと。でも、男が感染してると女は一回で感染する 可能性が高いらしい。女がやたらに弱者なのよ。それだけ防備しなくちゃ。 野放図にしてるとエイズ感染者は女性だらけになる」

地畑「じゃ、この映画はそのデータに忠実だったんだ」

出海「そうね。だから、男の人って遊びにいっても 移らないっていう人が多いらしい」

佐藤「でも、夫婦になったら百回くらいねぇ、 あるわよ」(一同大爆笑


■地球っ子

東京国際映画祭に出品された教育映画

宮崎「そういえば、『地球っ子』って せりふがもろドぎついの。それも子供に言わせてるの、ね」(地畑に同意を求める)

地畑(大きくうなずいて)「それにこの作品が 今年の国際映画祭のカネボウ国際女性映画週間で、アグニエスカ・ホラントとか コリーヌ・セローの作品と並ぶのよね。恥ずかしい」

佐藤「そんななの。教育映画でしょ」

出海「厚生省から助成金もらってるからたぶんそんな 主旨でつくったんだと思うけど。去年、一昨年とエイズの危険が出てきて文部省も 厚生省も助成金出したの。ビデオ業界でも公共施設の発注で作ったのよ。 たぶんそれが今出来てきた作品だと思う」

地畑「でも、ちょっと国際映画祭にはね。問題だと 思う。私が中野武蔵野ホールに行ったとき、三人だったの観客。で後の二人の人が 真面目そうで、私可笑しかったんだけど、笑っちゃいけないのかなって我慢してたの」

出海「じゃ、どういうふうに変ってる作品か教えて」

宮崎「別に変な映画じゃないの。それなりの内容なんだけど、 言葉の使い方が学芸会なの」

地畑「プロの脚本家が書いたのかなって疑いたくなる。 で一時間半くらいの普通の劇映画の長さだから、つらい」

出海「それは変な映画の範疇に入るのよ」

宮崎「直接的すぎるの」

地畑「登場人物もなんだかみんないい人。だから、 『私を抱いて、そしてキスして』だと、けっこうちょっとした人々の偏見にも 焦点があたってて、普通っぽかったんだけど。大変だね〜とか」

出海「そんなことをしてはいけません、とか?」

佐藤「頑張ってね〜とか?」

宮崎「そうそう。偏見があるからそれを直すのに 保健婦さんが出てきたりするのね。ほんとに教育映画で、前の作品群と比較するのは ちょっと支障があるかも。そのわりには子供にみせるには、ストレートすぎる」

地畑「性教育の理想を描いているのはいいけれど、 親に子供が平気で交尾してっていうの、弟か妹つくってねって。他人がたくさんいる前で。 それを聞いたほかの人たちぽかんとしてた」(笑)

佐藤「うちの子もいうけど、ハムスターだからね。 それは言葉が汚いわね」

出海「たぶんその脚本家も寝てとかセックスしてとか、 言葉をいろいろ考えたんだと思うわ」

地畑「あと人物設定もちょっとズレてる。 やけに若いお父さんで、子供が十歳くらいの子がふたりだし」

宮崎「エイズにかかるそのお父さんも沖縄出身の日米の ハーフで、山形で保健婦をしている主人公の女の子のおばさんのだんなさんがインド系 の人なのよね、国際色を出そうとしているのはわかるけど…」

地畑「私もはじめその家の使用人の子かなって 思ってたんだけど、子どもたちがお父さんって呼んでるし、その人がうれしそうに子供と、 かまくらを作ってるのがなんとなく不思議な風景で、無理があった。舞台も東京から 山形、沖縄と幅広かったんだけど」

出海「現実的じゃないのね」

宮崎「でも、この監督の前作の性教育の作品は すごくよかった」

出海「劇映画にしたのがよくなかったのね。 向いてなかったんだ。でも国際映画祭にはね」

地畑「それ以前に学校ならいいと思うけど、 劇場で入場料払って観る作品かなっと疑問。フィルムじゃなく、ビデオでも 十分だなって思った」

出海「でも、それは実績出すために劇場公開って いうのは必要だったのよね」

地畑「日本でも、もうちょっと進歩的なもの作って ほしいと思った。これから、『ムーン・リット・ナイト』を観てみるけど、どうかな。 それにトム・ハンクスの『フィラデルフィア』っていう作品もこれから公開される らしいから観ようと思ってます」

宮崎「まだ、日本ではこの題材を扱った映画は 出始めたばかりだから、これから日本でももっとアプローチの違ういい作品が 出てくることを期待しましょう」




『ロングタイム・コンパニオン』

出海


 エイズの映画を観たのはこれが初めて。1980年の初めアメリカの同性愛者の 間に原因不明のガンが多発。体に皮膚病のようなものが出て、多くは免疫性不全となり、 肺炎になり、脳がやられ、死に至るという新聞記事を同性愛者たちが目にする日から 始まる。

 登場してくる男同士のカップルが年を追うごとに次々にエイズにやられていく。 看病し、看取り、自分も死んでいき、それを送る仲間たちの1981年から1989年までの話である。

 ロングタイム・コンパニオンは終生の同伴者の意味。脚本家のショーンと彼を支える 資産家デービッドのカップルは、グループの中心だった。しかし、ショーンがエイズになり、 デービッドは病院の反対も押し切って恋人の最後を二人で過ごした自宅でと連れ戻る。 脳のやられたショーンは失禁し、デービッドはおむつの世話もする。末期に「死にたい」 と訴えるショーンに、「自然のなすがままに死ねばいい」と声をかけるシーンは すばらしい。さらに二年後デービッドが後を追うように死んだことが彼の追悼式でわかる。 その時彼らを知る若いカップルのひとりが、「デービッドが自分たちに献身ということを 教えてくれた」とせつせつと述べるところは胸を打つ。そして彼は「僕は生きるんだ」 と決心する。まだエイズが同性愛者の間で感染するといわれていた時なのだろうか。 ゲイであること、主にセックスでうつる病であることで、彼らは何重もの差別を受けるが、 愛と友情と人間の優しさについてジーンと私たちに訴える忘れられない映画だった。

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