女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
10号 (1989.04)  pp. 34 -- 36
★Videoで見よう!!

地畑寧子

★『Like father & son』
——追悼ジョン・カサヴェテス

去る二月に惜しくもこの世を去ったジョン・カサヴェテスの作品。

監督としても俳優としても彼の作品の評価は高く、鬼才の名を欲しいままにした。 日本でも某所で追悼上映が行われたようだ。 『グロリア』『ラブ・ストリームス』、夫人ジーナ・ローランズと組んだ作品は実にいい。

この作品は彼の監督ではないが、展開も緩やかで、 良質のテレビ映画のような色をもっている。 俳優としての彼をじっくり身近に感じることができ、結構拾いものかもしれない。 落ちぶれたエリート中年男性と黒人少年の共同生活が 親子以上の絆で結ばれていくのが感動的。わずか11歳で、 自分で生きていくことを強いられた少しばかりねじ曲がった少年の心に 水を与えていくカサヴェテスの役どころはいい。 落ちぶれても人生を知っている彼は血の絆を越えることはできないことも知っている。 少年との養子縁組をあきらめ少年を捨てた実父探しに奔走する。 愛するがゆえに一番少年の将来にいい道を選ぶ。 実父が彼に、見も知らぬ少年を世話したのはなぜかとたずねる問いに 「Lonliness」と力をこめて答えるシーンは印象的だ。 都会にあるさり気ないドラマだが、生を感じ、連発しない「I love you」の重みを ドッシリと感じるヒューマンな小篇である。

実父役に『スター・ウォーズ』シリーズのビリーデイ・ウイリアムズ。 少年役にはギブラン・ブラウン(上手!)。音楽はアール・クルー。 作品全体が押しつけがましくないが、このサントラについてもしかり。 監督はエリック・ウェストン。プロデュースがワンダ・デル。 この二人が脚本を共同執筆しているのも興味深い。

(Cf. ジョン・カサヴェテスといえぱ、ピーター・フォーク。 この二人が仲がよかったらしい。 ハリウッドではさして実績もないフォークの当たり役『刑事コロンボ』 にもカサヴェテスは監督・ゲスト出演(つまり犯人役)していたのも懐かしい。 『黒のエチュード』)


★『Rape & Marriage; The Rideout Case』

『告発の行方』を観た人に、ミッキー・ロークのファンの人に見てほしい作品。

夫婦の間にレイプは成立するのか?  改めて突きつけられると即答が難しい問題である。 かつて女性の権利が低かった時代にはあっただろう夫婦の間での強姦という問題を 法という第三者の介入によって裁くといった衝撃的な事件が1978年に起こった。 この映画はその実話を基にしている。 前年の77年にオレゴン州では強姦罪の適用を認められ、夫婦間でも適用となる。 その直後に起こった事件だけにマスコミが取り上げ、妻側(リンダ・ハミルトン) には女性団体が付き、妻グレタが訴訟を起こした時に予想していた以上の騒動になっていく。 男のコケンにかけて意地でも勝とうとする弁護側と女権運動の一環としようとする検察側との間で 深く愛しあっていたジョンとグレタが踊らされていくハメになる。 事件から判決まで克明に時を記してドキュメンタリー風にしているので結構見応えがある。 ミッキー・ロークは、職もなく、努力もしない、妻と寝ることしか脳のないグウタラ亭主役を 地味に演じている。ファッショナブル、アンニュイな彼が好きなミーハーな人には 今一つおもしろくないかもしれないが、無難にこなしている (やはり『死にゆく者への祈り』がベスト)。一方、リンダ・ハミルトンは いつもの少し不安げな感じの美しさで好演。『ターミネーター』の時から、 派手ではないが、堅実な演技をする人だ。 地昧だが、性の権利について考えるなら見てほしい作品だ。

(監督ピーター・レヴィン)


★『Shy People』——ある人々——

現在ベット・ミドラー共演の『Beaches』で話題をまいているバーバラ・ハーシーの主演作。 このところこの人の作品が目まぐるしく封切られて だれでも一度くらいは見たことがあると思う(日本での最新は『最後の誘惑』 のマグダラのマリア役。彼女が監督にこの作品を薦めたことは有名…。愛読書らしいが…)。 その彼女がカンヌ映画祭で女優演技賞をとった作品。 ヨハネの黙示録第三章(15、16節)をべースに 遠い親戚でありながら生活習慣の全く違う二人の母親(ハーシーとジル・クレイバーグ) の歩みよりを描いている(友情とはいえないが…)。 クレイバーグ演じる母親は〈コスモポリタン〉の記者で マンハッタンに住み離婚歴もある少しスノッブな都会人。 一人娘のコカイン常用にも目をつぷり自己反省を待っているような 「話のわかる母親」を自認している。ある取材で遠い親戚を捜し出し出向く。 が、その一家は人里離れ、文明社会から隔離した生活をしている、 近隣者が「shy people」と呼ぶ人々。そこの家長を演じるのがハーシー。 化粧っ気など全くなく、野性的で、家庭内で絶対君主を誇っている。 クレイバーグとはすべてにおいて正反対で子供たちを完全に管理支配している。 クレイバーグ母娘の滞在で子供たちの社会への渇望が激しくなる。性的な面、物質的な面。 多少の譲歩はするがハーシー演ずる母親は自らの方法で裁き、管理していく。 生業の漁の漁場を荒らす者にも自ら銃をもって制裁に出向く。机上の法など存在せず、 「目には目を。歯には歯を」の野性の法を行使する。 かつて亡夫に虐待されていた彼女に取りつき、得させたものは何なのだろう。 タイトルの『shy people』と重ね合せると深く考えさせられる。 クレイバーグとの交流の中でハーシーは憎くもしかし最大の愛情を捧げた 亡夫の幻影を離れる。管理を嫌い、家を出た息子の一人も我家に迎える寛容さも見せる。 しかし、ラスト近くで二人の母親が歩みよった時ハーシーは一つの教訓を残す。 「人間は熱いか冷たいかどちらかでなくてはいけない」と。 聖書にいう「あたしはあなたの業を知っている。それは熱くも冷たくもない、 ただ生ぬるいだけだ。むしろ熱いか冷たいかどちらかであってほしい……」 (ヨハネの黙示録)をベースにした台詞だが、作品のシチュエーションから文明批刊にも、 そして母親の立場にもなっている点は興味深い。 冒頭にマンションの窓から流れでる、B・ストライザンドの「The way we were」 も二人の伏線になっていて上手な演出だ。

都会女性を演じ続けるクレイバーグの繊細さもさることながら、 ハーシーの野性味と演技は絶品。個人的には今までの彼女の中で最高のものだと感じている。 脇役陣もクレイバーグの娘役にマーサ・プリンプトン(才能ありますね、この人は…。 この作品でのファッションもいい)、あのメア・ウイングカム・ドン・スウェイズ (この人パトリックの兄弟でしょうか? 名前もそうですが、顔がよく似てるのです)。 アメリカ本土よりヨーロッパで受けそうな重厚な作品です。 (監督・原作・脚色 アンドレイ・コンチャロフスキー。87年作品)。

本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ:
order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。