女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
10号 (1989.04)  pp. 5 -- 6
■特集■

砂漠の中の女たちのオアシス『バグダッド・カフェ』

これからは太めの時代なの?

● 『バグダッド・カフェ』についてのあれこれ
● 太ったドイツ人女と中年の黒人女になぜか漂う不思議な魅力/ 『バグダッド・カフェ』を観て/私にもジャスミン下さい!!
● 『バグダッド・カフェ』
● 『バグダッド・カフェ』映画とマジックの関係
● 『バグダッドカフェ』ジャスミンという砂漠の化身


太ったドイツ人女と中年の黒人女になぜか漂う不思議な魅力

『バグダッド・カフェ』を観て/ 私にもジャスミン下さい!!

R. 佐藤

うーん、素敵でした。この映画のパンフレットを見せてくれ、 いい映画だと勧めてくれたのはシネマジャーナルの若い仲間のIさん。 『バグダッドカフェ』のうわさは耳にしていたものの パンフを読むまでピンときていなかった私。これだから仲間っていいですね。

毎台は力リフォルニアの砂漠の中のモーテル。錆び付いたガソリンスタンド。 ほこりまみれの受付け。アメリカが舞台のロードムービーを観ていると よくこの手のモーテルに出会う。 こんな環境では(『フール・フォア・ラブ』の舞台によく似ている) 誰だってなげやり的を人生を送りたくなってしまうだろう。 私だったらこんな風景の中では一日たりとも住めないにちがいない。

ブレンダという名前の黒人のおばさんがこのモーテルをきりもりしている。 (正確には若いおばあさん、息子に嫁らしきものがいないのになぜか赤ん坊がいて 彼女はその面倒もみている) だけどこのブレンダ、疲れているのかやたらガミガミ周囲にあたりちらしている。 それも由なき訳ではない。だって、役にたたない亭主に、パッパラパーの尻軽娘、 おんぼろピアノばっかりひいてる息子、バーテンだってグータラで…。 わかるわかる本当にうんざりよね。そこにやってくるのが、西部劇だと流れ者だし、 恋愛映画だと素敵な男というのがこの手のパターンなのですが、なんと現われたのは、 旅行中に夫と喧嘩して車から降りてしまった太ったドイツ女の、ジャスミン。 うさんくさ気に彼女をさぐるブレンダ。 このジャスミンという超“デブ”なおばさんのキャラクターが面白い。 いくら亭主と喧嘩したからって、いままでの生活をすっぽり捨てようというのは、 普通はできない。今までのしがらみがドイツにあるだろうし…。 よりによってこの砂漠に自分の身を置き続けることが可能なのは、いったいなぜ。 と、しがらみにがんじがらめに縛られている私は羨望のまなこでジャスミンを見る。 子供がいないのとジャスミンはいう。ひとつの謎が解ける。 多分、面倒をみなくてはいけない親もいないのだろう。 故郷のローゼンハイムに未練もないのかもしれない。 だからこの太ったドイツのおばさんは、うらびれた砂漠の真中のモーテルから、 自分の今までの生活へ向けて電話をかけたり、手紙を出したりしないのだ。 ジャスミンは、夫と別れれば他に何もないのだろう。いえ、なかったことに、 このモーテルで暮らすうちに気付くのかもしれない。 女主人に邪険にされながらも、まわりの人と少しずつ仲良くなっていく。 自分の心と別な次元で彼女の体は動くのか、つい習慣で、 自分の居場所のまわりをきれいにしたくなってブレンダにことわらずに 大掃除をしてしまうジャスミン。 彼女の本心は、ブレンダヘのあてつけでもなんでもないのだ。が、ブレンダのように、 仕事と家庭の狭間で常に忙しい思いをしてイライラしてる多くの女たちは (私もブレンダと同じ状況にいます)家政婦でもない(対価を払わない) 得体のしれない女に家が汚いとて掃除をしまくられたら、パニックに陥ってしまうのだ。 あれもこれも完ぺきに片付けたいのに、できない私。 それを手伝ってくれるんだから素直に“有難う”といえばいいのに… “余計なお世話よ、出ていって”とどなってしまう、心の狭さ。 重荷を背負込んで、かたくなになってしまっている働く女たち。

このかたくななブレンダの心を、ユーモラスなこのデブなおばさんが、ほぐして行く。 まるで、それは、魔法のよう。魔法のようというのは、形容詞ではなく本当に花を出したり、 ハンカチを出したり…するの。それは楽しいんです。 観ている私たちだって顔がほころんできちゃう。つっぱるのなんて、 やめたほうがいいよ…ほらこんなマジックのように、 人と人とは(女と女とは)心が通う。

「肩の力を抜いて、人の親切を素直に受けようよ」っていう標語が うさんくさくなく心地よく響いてくる。

ブレンダがジャスミンを大切な友と感じ取るのに時間はかからなかった。 普通のお掃除好きの心温かきおばさんの小さな自立(夫や既成社会からの) は彼女自身の魅力を倍加する。ただの太った女が、 こうも魅力的な女として登場してくれた映画がかつて存在しただろうか。

一度ドイツに戻ったジャスミンが砂漠の空を舞うブーメランのように舞い戻ってくるところは泣ける。

ジャスミンを演じたマリアンネ・ゼーゲブレヒトという女優さんの巨大なからだには終始、 圧倒されたけどフェリーニ映画に出てくる大女とはまったく趣が違って 女として共感がもてました。

ドイツの女の人って病的にお掃除好きってよくいわれるけど、 この映画はそれを皮肉っているのかしら。とにかく、中年の忙しい女の人、 是非御覧になって下さい。 そしたら、私が今ブレンダに強烈に嫉妬している事情がおわかりいただけると思います。

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