女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
40号   pp. 42 -- 44

アンドリュー・ラウ(劉偉強)監督インタビュー
『欲望の街』(原題:古惑仔)



 95年末から96年の香港映画界での大ヒット作『古惑仔』。 本国産の人気漫画を原作としたこの作品はシリーズ化され、 香港映画お得意の亜流映画まで作られ、古惑仔(チンピラの意)という 言葉も社会言語として認知されるほどの一大ムーブメントを起こした。

 その仕掛け人の一人がラウ監督。監督は、『友は風の彼方に』 『いますぐ抱きしめたい』『いつの日かこの愛を』といった、 八十年代の黄金期の代表作でカメラマンとして名を馳せ、92年から監督に進出。 撮影監督、製作者としても大活躍中の映画人である。




ー この作品でも『いますぐ抱きしめたい』などと同様に室内や夜明けのシーンで、 ブルーを基調にした映像が見られますね。
「ブルーを基調にした色づかいは、『友は風の彼方に』で私がはじめて採用しました。 それ以前香港映画界ではブルーというのは敬遠されていたのですが、 私自身がこの色が好きだったせいもあって、撮影作品の中に積極的に 取り入れていったのです」

ー この作品では、80年代に量産された黒社会(ヤクザ)映画で特に強調されていたダンディズム、 ヒロイズムがかなり省略され、青春群像モノのテイストを感じたのですが。
「一面では、青春群像モノとしての狙いもあります。しかし、私がこの作品で テーマとしたのは、広義の意味でのヒロイズム、ヒーローになる前の若者像なのです。 一介の若者が、段階を踏んである地位まで登りつめていくその過程も、 一種のヒロイズムと考えています」

ー この映画は、80年代の黒社会映画と趣を異にした90年代黒社会映画と言っても いいと思いますが、制作当初からこのスタイルは、決まっていたのでしょうか。
「確かに撮影当初はヒットするかどうか不安でした。量産された80年代の黒社会映画が もはや顧みられなくなった時でしたし、同じ黒社会を描くにしても、 その時代時代に流行する車の型と同じく、時代に添ったスタイルでないとヒットは 見込めないのです。ですから、90年代スタイルというのを打ち出すことに専念しました」

ー 作品のオープニングに、核家族化、極度の教育熱が落ちこぼれを生むと、 文字で提示されていますが、新興住宅育ちの今の香港の若者の実像はどうなのでしょうか。
「今の香港では、核家族という生活スタイルが定着していて、子供に独立しようとする 傾向が強まっています。しかし、運のよい人ならいい仕事と生活が手にできますが 運の悪い人は、友人とグループを作り、一部の若者はこの映画の主人公たちのように ぐれていってしまうのです」

ー 作品の中で描かれる黒社会組織のパーツに選挙、ひきぬき、昇進がありますが、 一般社会と大差ない描写にリアリティがありますね。
「80年代の黒社会映画が強調していた仁義や人情のほかに、一般の会社と同様の ピラミッド型の組織構図をもっているのが、黒社会です。その中でも選挙は、 台湾の黒社会の実情から引用しました。台湾では、政界と黒社会の癒着が密で、 いっとき黒社会は、裏の政界と囁かれていました」

ー 原作のベストセラー漫画の場面を作品中に挿入したのは、意図的にですか。
「そうです。観客にこのストーリーが現実的ではなく、あくまでも架空のものであることを 強く意識させるためです」

ー 香港でも漫画文化が定着しつつあるのでしょうか。
「15歳から25歳の年代ではすでに定着しています。ですから、 この映画も特にその年代を客層のターゲットにして制作しました。 だからこそ、作品の中に漫画の挿入は必要だと考えたのです。 あくまでもこの映画の中に描かれていることは架空で 真似しないようにということで(笑)」

ー 表面的にはドライでクールな感情の下では、厚い情が波打っている。 主人公ナンが親分の葬儀で涙ながらに焼香をするシーンで特に感じましたが。
「90年代の黒社会を描写するなら、第一に金融。これが現実の風潮です。 しかし、描く側としては、この風潮の中だからこそ主人公たちには情のあるキャラクターを 吹き込んだのです」

ー 私は、鄭伊健がこれまで演じたヤクザ役にいまひとつのれなかったのですが、 この作品での主役はハマリ役だと感じました。彼を起用した経緯などをお聞かせ下さい。
「まず、何度も一緒に仕事をしたよく知っている俳優だというのが第一の理由です。 それから彼には潜在的な俳優の才能が備わっていて、スターとして売れるという 監督としての私の勘からです。また、本人も非常に真面目な性格で、 人の話はよく聞くし、芸に関して意欲的だからです。それに、私がよく演技指導したからですね(笑)。 とはいえ、本人は当初、このようなヤクザ役には乗り気ではありませんでした」

ー 95年に金像奬助演男優賞を受賞している陳小春についてですが、 剽軽なキャラクターを演じることが多い、演技に定評のある俳優ですが、 この作品ではシリアスな難しい役柄でしたが、彼にあえてこの役を充てたのはなぜでしょう。
「彼の豊かな才能に見合わない役が多かったように感じてました。とぼけた役ばかりでは もったいないです。ですからこの作品でイメージチェンジを図ってもらえればと思ったのです」

ー 才能というところで、憎々しい悪役を演じた呉鎮宇はどうでしょうか。
「私は、彼にはこの役にするにあたって、今までの役のイメージを捨てるようにいいました。 本人はかなり悩んでいたようでしたが、期待に添う彼の新境地を開いてくれたと思います」

ー ラウ監督の他の作品についてお聞きしたいのですが、撮影監督をなさった 『友は風の彼方に』と監督もなさっている『新邊縁人』はともに、おとり捜査官を 主人公にしていますが、『友は風の彼方に』に携わった際、すでに『新邊縁人』 の企画はご自分の中にあったのでしょうか。
「ありませんでした。たしかに主人公がおとり捜査官という点は類似していますが、 時代と共に実際の警察の動きも移行していますからこの作品同士の相互関係は ありません」

ー 『新邊縁人』で、レオン・カーファが演じるヤクザは元は潜入捜査官だったわけですが、 このキャラクターは欧米の犯罪映画でよく使われる手法ですが、香港映画の中では 珍しいと思います。このキャラクターを挿入した意図はなんでしょうか。
「この作品の登場人物はあくまでも社会の縮図として私はとらえています。 警察の中にも彼が演じた元捜査官のように身を持ち崩す者もいる。 名誉欲の強い上司のようにずるい人間もいる。一方、黒社会の中にも根っからの悪もいるが、 情に厚い者もいるといったふうにです」

ー 欧米映画に押され気味の香港映画の配給事情ですが、監督として、これからの 香港映画をどう考えていらっしゃいますか。
「要は質の問題なんですね。この点は私も十分留意して作品に取り組んでいくつもりです。 またマーケットとしては、やはり中国大陸は大きな魅力です。その場合さまざまな 制約がついてくるとは思いますが、私はその点は徐々に緩和されてくると思っています」

(96年 9/27 渋谷にて)
地畑寧子
協力:ファザーSCI テレビブロス

本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ:
order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。