女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
40号   pp. 68 -- 69

ロンドン便り5 『秘密と嘘』


映画は時に見る人の心をも映し出す

K. 山中

 ロンドンに住み始めた当初、地下鉄のトラブルの多さに閉口しました。 電車のキャンセル、遅延は当たり前、突然の駅の閉鎖、トンネルの中で 電気が消えたまま停まること数十分など、日本では考えられないことばっかり。 友人はホームで待っていたら停まるはずの電車が通過していったといいます。 日本だったら新聞沙汰だけどこちらは説明のアナウンスもなし。 でもここで怒るのは新参者の証拠です。自称ロンドナー(ロンドンっ子)の友人は 「あれ、地下鉄って特急あったっけ?」(ないない)などと周りの人と ジョークを飛ばして自虐的に笑いあったとか。怒ったってなにも変わらないと みんなわかっているから。そもそも腹を立てるということは「電車は スムーズに運行されるものである。そしてそれはやれば必ずできるものである」 という日本的常識で事態を把握しようとするからであってイギリスではこの 常識は通用しません。関係者をいちいち処分していたら地下鉄の駅員さんは みんないなくなってしまいそうです。所変わればなんとやらで、前提が違えば そこに生まれる感情も変わってくるというものです。

 こういうことって映画を見ていてもおこりませんか。見る人の感受性や アンテナの方向、そして物事を計る物差しの違いで映画の解釈も変わってきたり することがあります。イギリス映画『秘密と嘘』の批評のいくつかを日本の 新聞で読みました。その中で何人かの男性が主人公をヒステリックな性格で、 弟との関係を近親相姦的なものととらえていたのが印象に残りました。なんだか とっても日本の男性らしい感想だなって。確かにブレンダ・ブレッシン演ずる シンシアをはじめ娘のロクサーヌも、シンシアの弟モーリスの妻モニカも、 時にとてもヒステリックに映るかもしれません、日本の女性を頭において比べると…。 でもね、イギリスじゃあ女性は強いです。絶対的にという意味ではなく、 男女間での相対的支配関係においては。日本で「私は男まさり」と自負している 女性だって、エレベーターで男性とぶつかったら反射的に一歩下がって先を ゆすったりしませんか?もちろんイギリスでは反対です。たとえ公共の場でも 失礼な対応があれば断固抗議しているのは女性です。時としてヒステリックに なっている女性の取りなし係りは決まって男性。日本は男のわがままが通る国だとすれば、 同じ理論で女のわがままのほうが通るのがイギリスなのです。

 そうやって見ていくとなぜシンシアが不幸なのかが見えてきます。彼女には わがままをきいてくれる相手が現在誰もいないのです。彼女が弟に甘えるのも、 精神的なよりどころ(もちろん経済的にも)がない不安定さからくるものではないかと 私は解釈したのですが。弟との親密さを近親相姦的と見る人はシンシアが女としての 意識を強く持っているところをその根拠としているのかもしれませんね。 確かに日本ではシンシアの年代ともなれば、恋愛の対象となる独身男性の 絶対数が少なく必然的に恋愛のチャンスも減ります。そのため女性は年とともに 「女の部分」を強く前に出さなくなりがちです。でもイギリスは離婚が日常の 出来事。各年齢層に独身男女が存在するのでシンシアが幾つになっても 女であることを意識していても当然といえます。彼女のような境遇の シングルマザーも全く珍しくありません。だから彼女が特に若いころから性に対して 奔放な女性であったとは感じられません。

 ロクサーヌもこの世代の等身大の娘。たまたまこの映画を見た後、テレビの ニュースで「若者の生態」をレポートしていたのですが、ロクサーヌと同じ 髪型をして同じような表情の女の子が道路にしゃがみ込んでいるのが 映っていて思わず吹き出してしまいました。やっぱりマイク・リー監督は 人物の表し方が上手いですね。あの不機嫌な顔つきは形から入ったものではなく、 5か月間の俳優との準備期間のなかで作り上げられたものだからでしょう。また モニカの初登場場面がステンシルをする主婦というのも象徴的。ミドルクラスの 主婦にとって、家は自分のセンスの発表の場のようなもの。家具や壁をステンシルで デコレートしている姿を見ただけで彼女の輪郭が、だいたい見えるような登場の 仕方です。

 この3人と好対照なのがホーテンスの落ち着いた態度。イギリスで彼女のように 教育を受けそれなりの職業についている黒人は極少数です。彼女も普段は 知識階級の言葉で話しながら、黒人の友人と話す時はカリビアンコックニーで おしゃべりをし、言葉を使い分けています。黒人が普段どういう位置づけにいるかは、 映画の中で、ホーテンスがシンシアに初めて声をかける場面でのシンシアの警戒ぶりや、 誕生日にモーリスの家を訪れて物売りと間違えられるところによく表れています。 彼女はこういう対応にはもう慣れっこなんでしょうけど。誰に対しても距離を おいているような彼女の態度は同化できる人の少ない彼女の境遇が作ったものではないかと 想像されます。

 こうやって前半の部分で詳しい説明もないまま見せられる登場人物の横顔は そのディテールの表し方が巧みでツボをついていて、思わず笑いを誘います。 そして本筋には関係ないけどモーリスの写真館のお客達はまるで「イギリス人 博物館」。顔に怪我をしたビューティコンサルタントやオーストラリアに移住したものの 落ちぶれて帰って来た元オーナーなどは実在のモデルが存在します。どの設定にも リアリティがあってまるで、向田邦子の家族ドラマを見ているみたいです。 「こんな人いるいる」とうけている内に自然に映画館の座席ではなく映画のなかのどこかに 自分をおいて見てしまう仕掛けになっている様な気がします。だから後半の ハッピーエンドも比較的すんなり受けとめてしまうのかもしれません。

 もちろんこういうイギリス的な部分を抜きにしても充分鑑賞に値する映画であり、 その部分についてはもういろんな方が語ってくれていることでしょう。ただどうも 前述の男性陣の感想から判断して、典型的イギリス人女性のストレートな 感情表現に違和感を覚えるあまり、この映画のコミカルな部分を楽しんでいない方が いるのだとしたら残念です。カンヌでパルムドール大賞とともにブレンダが 主演女優賞を取ったのは熱演というより、ものごしからコックニーなまり、 感情表現の全てが演技を越えシンシアそのものになっていたからなのだと思います。 どうも日本女性が男性に優しすぎる(?)せいで日本の男性は女性の心の叫びを 直視するのが苦手のようです。皆さんの周りの男性はいかがですか?

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