女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
37号 (1996.06)  pp. 66 -- 69

いきなりビデオウーマン IN 北京世界女性会議



芦澤礼子

 「あなた、ビデオ映したことある?」
 「は?まあ、そーですねえ、ホームビデオカメラなら持ってますけど……。」
 「じゃあ、ビデオ担当になってネ!」
 「はあ?」
 「おねがいネ!」
 「あのー、他に人材は……。」
と、有無を言わせず〈あごら〉のビデオ担当にさせられてしまった私。 その顛末を含めて、北京会議の裏話をしましょう。


 昨年の八月三十日から九月七日まで、北京郊外の懐柔で「第四回世界女性会議」の NGOフォーラムが開かれていたことはご存じでしょう。私は、老舗女性団体 〈あごら〉のメンバーとして、フォーラムに参加していました。〈あごら〉 は三十年ほど前女性の能力開発を目的に設立されたフェミニズムの草分け的団体です。 創始者は今年御歳七十?歳の斎藤千代さん。現在は月刊誌『あごら』を中心に 活動しています。地方にいくつか拠点があり、地方発の情報発信を重視しています。


 私は一九八九年、ちょうど天安門事件の一ヵ月前に北京・清華大学に 短期語学留学をしていて、五月四日に大規模な学生デモを広場で目撃しました。 その時のルポを月刊『あごら』に書き、その頃からの会員です。その後中国熱さめやらず、 ついに夫をほったらかして(?)九四年二月から九五年六月まで四川省成都市・ 西南交通大学で日本語教師を勤めました。
 何とか無事に卒業生を送り出し、任期を全うしたあと、七月から八月にかけて 念願のシルクロード(嘉峪関〜敦煙〜トルファン〜ウルムチ)、教え子の多い山東省 (青島〜煙台〜威海)、戦後五十周年の旧満州こと東北(大連〜瀋陽・撫順〜ハルピン〜吉林) と長期旅行。北京に入ったのは八月二十二日でした。
 〈あごら〉北京ツアーご一行と合流したのは二十九日夜。ところが、しょっぱなから 大トラブル発生!当日夜だけは市内の豪華ホテル「北京飯店」に泊まる予定だったのに、 二十九日の夜になって急に「北京飯店は政府関係者のみ宿泊。NGOは宿泊不可」 という命令が政府から出たということで、一同呆然。「ちょっとそれ、 NGO軽視じゃないの!」と怒ってみてもなにせ政府命令はゼッタイのお国柄、 止むを得ず代替として、三十日以降に泊まる予定だった懐柔のホテルに 行くことになりました。
 ところが懐柔というのはもともと外国人が行くところではなく、従ってホテルも 国営企業の保養所などを今回のために作り変えたものなどが多かったので、 地図にも載っていないし運転手さんも知らない。山の中を延々とグルグル回り、ようやく 「紅螺園飯店」とその奥の「紅螺山荘」にたどりつき、半数ずつに分かれて 泊まることになりました。ここでまたトラブル発生!「今夜はあなたたちはここに 泊まることになっていない」と、ホテル側がチェックインさせてくれない。押問答の末、 ようやくチェックインできた時には、もう夜中の三時を回っていました。これがまさに 「中国」なのですね。初めて来た人はさぞや「何ちゅー国だ!」と思っただろう……。
 翌日三十日が開会式(むりやり蘆溝橋見学を入れたため、すごいカーチェイスの末、 滑り込み入場という離れワザつき)、三十一日からワークショップの開始。朝一番で 〈あごら東海〉のメンバーが独自のワークショップを開くというので かけつけようとしたら、開催場所がどうも地図とちがう。またもやグルグル回った末、 その建物は地図の範囲をはみ出した遠い場所にあることがわかり、たどり着いた時は ワークショップは半分以上終わっていました。この「会場がわかりにくい」という苦情は、 どこの団体からも出ていたことです。

 確かその夜、〈あごら〉ビデオ係の話を持ち出されたと記憶しています。九月一日に 〈あごら〉がパフォーマンスをやるからその時からお願い……と。まさか私一人? そりゃーないよ、私がしくじったら、〈あごら〉の記録は残らないなんてねェ。まあ しょうがないか……。カメラは「液晶ビューカム」と「リコー8ミリ」の二台で、 私にとっては初めての機種。でも、案外ビデオカメラってメーカー違っても 似通ってるんですね。何となくわかる。特にビューカムはラク!モニターが大きい方が 絶対疲れません。しかし、困ったのが充電。私はトランスを学生に貸し出していたため 手元にはない。ほかのメンバーを当たったところトランスを持って来ていたのは 何と一人だけ(六七人もメンバーがいるのに!)。彼女はワープロに使うために 持ってきていたので、ワープロ使わない時間を見計らって貸してもらうことにしました。 ビューカムのバッテリーは五個、リコーは二個あったので、とりあえず全部 充電しましたが、この充電もげっこう時間がかかる。一個ずつしか充電できないのが、 案外まだるっこしいんですよね。二個以上まとめて充電できるようにならないかしらん?

 九月一日のパフォーマンスは雨で流れ、翌日開催となりました。私たちが「パラソル村」 と呼んでいたイベント広場に午前九時半に集合、早速作戦開始。ポスターを書く人、 絵の具を混ぜる人、何だか学園祭ノリですねえ。「はじめまーす!」 「え、もう撮ってるの?」だって、みんなが妙に嬉々としてるのが可愛いもんね。 この準備段階の映像は、再生してみたら結構臨場感があって、撮ってよかった場面です。
 今回のパフォーマンスの主役は崔広子さん。在日韓国人で、踊りながら 抽象画を描く新進芸術家です。北京へ来る直前、ユネスコ五十周年行事に国連から招かれ、 パリで国賓待遇でパフォーマンスをなさったというスーパーウーマンです。〈あごら〉 代表の斎藤さんが彼女の芸術に惚れ込み、口説いて参加となったのですが、 困ったことに彼女はフォーラムヘの参加登録をしていない。それこそみんなが 一致団結して彼女をかくまい(?)密かに懐柔へ潜入ということになったのです。
 今回の崔さんのアイディアは、二十人ほどが赤い長方形のビニールの真ん中に 穴をあけてベストのようにかぶり、お腹の側に各国の人にメッセージを書いてもらう。 メッセージが集まった後、前後逆にして二十人が横に並ぴ、何も書いてない前の面を つなぎあわせて大きな「人間キャンバス」をつくる。そこへ崔さんが抽象画を書く という趣向。題して「ノー・モア・ウォー」パフォーマンス。
 影の演出者斎藤さんは、ガンジーに見立てられてシーツにくるまれ、 なぜかヘンテコリンな紙の帽子をかぶせられ、ガンジーというより「尊師」。 ワタシたち、怪しい宗教団体に見えるかも……と評判も上々?
 さて、各メンバーは会場に散って、メッセージ集めを開始。私はみんなの後を追って撮影。 北欧のご夫婦、バングラデシュのサリーを来た方……特に印象的だったのが インドネシア領土にされてしまった「東チモール」から、軍事侵略による女性の 人権侵害を訴えに来た若い女性。「ぜひ東チモール問題を知ってほしい」 と熱心に訴えていました。帰国後NHK教育テレピの「ETV8」に彼女が出ていてびっくり。 インドネシア側の女性と激しい対立の場面に、彼女の出国までの苦労がしのばれました。 必死の思いで北京まで来た彼女の思いを考えると、彼女の映像を撮って他の日本人に 見せる機会ができてよかったと思いました。 テロが多い東チモールで、その後彼女は無事でしょうか……。
 さて、準備も完了にさしかかったころ、ちょうど韓国の「従軍慰安婦」 問題に取り組む女性たちが、チョゴリをまといチャンゴを打ち鳴らしながら 「民間募金反対!日本政府は国家で謝罪せよ!」とパフォーマンスを始めました。 早速斎藤さんが「私たち日本女性も日本政府に怒っています」とエールを交換しました。

 各国からのメッセージも集まり、いよいよ崔さん登場。「ノー・モア・ウォー!」 と声を合わせて叫ぷ人間キャンバスに、崔さんの力強い一筆が。しなやかに舞う 刷毛の動きを、必死でカメラで追いました(あとで見てみたら、追うことに一生懸命で 全体が見えていない。もっとカメラを引いた場面を作るべきだった)。あとで崔さんが おっしゃるには「あの時、皆さんの方からものすごい“気”を感じて、それに乗って 書いたんです」と。人間キャンバスになった側も、崔さんの“気”を ビンビン感じたみたいです。映像からその“気”が少しでも感じられればいいのですが……。
 赤い大きなキャンバスに踊る、黄・青・緑・金色。絵の完成に、 いつの間にか増えた観客や報道陣の間から、大きな拍手が沸きました。 いよいよデモ行進に出発というとき、何と、あの韓国のグループが一緒に 参加してくれることになったのです。ギターを弾きながら「ドナドナ」を歌ってくれた 女性を先頭に、私たちはメインストリートに繰り出しました。あとから考えると、 デモは一応禁止だったはず。よくこんなことできたなー、北京で起きた奇跡かもしれません。 とにかく、国境を越えて結びあえたことに、みんな興奮していました。
 私が撮った映像は、このパフォーマンスと〈あごら〉の連続五回のワークショップ 「女と戦争」のみです。ワークショップの撮影は、暑さと会場移動の不便さに加えて バッテリー切れに悩まされました。何しろバッテリーは思ったより持たない。 五個充電したところで、あっと言う間になくなってしまいます。隣の空いている部屋の コンセントを借りて充電させてもらうということもやりましたが、 肝心な場面で切れてしまったり。もっと容量の多いバッテリーはできないのでしょうか……。
 ワークショップはパフォーマンスに比べて動きも少ないし、単調な画面になったのは 否めません。カメラのマイクでは音声がうまく拾えないし、あとで見てみると手ブレ、 逆光、ズームアップすべきところで引くポタンを押しちゃってたり……とまあ散々です。 せめてもう一台を操作してくれる人がいれば、単調さも少しは緩和されただろうに、 残念です。

 今年三月三十一日に横浜女性フォーラムから声がかかり、「映像で見る北京会議」 という催しに〈あごら〉のビデオを出品させていただきました。参加団体は、 〈横浜市派遣団〉〈大阪府協働社会づくり財団〉〈ワーク・イン〉〈あごら〉の四団体。 横浜市のものは「NHK情報ネットワーク」が制作したもので、さすがプロで映像がきれい。 ただ、かけたお金も七二一万!〈あごら〉なんてテープ代くらい。大阪府の 撮影ディレクター・田上さんと、〈ワーク・イン〉の山上さんは女性のビデオ作家として 実績のある方で、北京の街の風景をうまく取り入れてあったりして、大変 勉強になりました。そういえば、私は〈あごら〉の催ししか撮らず、街の表情や ほかのワークショップなどを撮らなかったなあ……と、大いに反省しました。 こんなプロの方々にまじって、ド素人が出品したのは冷汗モノでしたが、 意外なことに結構好評。素材の力によるものだと思いますが、 「何をやりたかったのかはっきりわかった」という評価が多かったようです。 逆をいうと、横浜市は総花的で、良くも悪くも「教科書的」だったため、 かえって評判があまり良くなかったようです。
 ビデオの面白さは「これを撮りたい!」という撮る側の気持ちに支えられるのだと つくづく思いました。「技術はあとからついてくるもの」と山上さんもおっしやって いました。「撮る側」体験はカイカン。もっと勉強してみようかなあ…… と最近思っています。


 〈追伸〉
 五月十三日から一週間、中国へ里帰りしました。というのも、私の教えていた大学が 今年百周年で、記念行事に招かれたのです。今回は荷物が多く、ビデオカメラを 持っていく余裕がなくて残念。変な(?)催しもいっぱいあったのにー!  特におかしかったのは、「演芸の夕べ」で見た「紅太陽ディスコ」。「紅太陽」といえぱ、 毛首席を讃える有名な革命歌。それがなぜディスコ?と思ったら、オバサン六人、 オジサン六人のチームが出てきて、ディスコ調の「紅太陽」に合わせてエアロビクス!  しかもオバサンのみならずオジサンも、白塗りに真っ赤な口紅の「ド派手メーク」!  話によればこのチームは、毎朝校内の某場所で練習を積んでいたそうな。 きっと教授ご夫妻六組なんだろうけど……毛首席も、もしこれ見たらビックリだよなあ。 うーんまだまだ謎の国なのだな、中国は。






芦澤礼子さんが、自分の体験を元に「我愛成都 中国四川省で日本語を教える」 (高文研、1700円)という本を出しました。詳しくは こちら をご覧下さい (注文や、プロローグとエピローグの 立ち読みができます)。

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