女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
37号 (1996.06)  pp.75--83

女たちの映画評


  『ナヌムの家
  『イル・ポスティーノ
  『鯨の中のジョナー
  『大阪ストーリー
  『上海ルージュ
  『バルセロナの恋人たち


ナヌムの家

宮崎暁美

 前号にもあったように、 これは従軍慰安婦だった韓国の女性達が一緒に暮らす 「ナヌム(分かち合い)の家」での生活を描いたドキュメンタリーである。 日本人に対しての恨みつらみの言葉ももちろん出てくるけど、かといってこの映画は 日本を糾弾するものではない。淡々とした彼女たちの日常の生活を主に描きながら 「元従軍慰安婦」だったハルモニ(おばあさん)たちの今を描いている。 しかし、彼女たちのつぶやきの中から見えてくるのは 「彼女たちが人間としてしてはならない体験」をさせられた事が、 五〇年たった今でも心の傷となって消えていないことだった。 監督も三月の上映会で来日した時、“トーク”で 「慰安婦の問題は五〇年以上も前の問題というだけではなく、 韓国兵がベトナム戦争当時ベトナムの女性を凌辱したことや、 ボスニアやルワンダの女性たちに起こったことなど、 今も女性たちに起こりうる問題としてある」と語っていた。
 なんでもっと前に名乗り出ないで、今頃名乗り出てきたのとか、 補償金目当てだろうという人たちがいるけど、今だからやっと名乗れたこと、 七〇才以上の人が多く、残り少ない人生だから自分たちの経験が忘れられないように 言っておかなくてはと恥を覚悟で出てきたことなどが語られる。 『教えられなかった戦争』を観た時にも思ったけど、この映画をみても日本人は あの戦争中に起こったことやってしまったことを後の世代に伝えていないなと思った。 こんな事実があるんだということを示される度に愕然とする。たとえば、 戦地まで連れて行かれた慰安婦たちが故郷に戻れないまま、その地に残っている例が かなりあること。松井やよりさんが書いた本の中でも母国(北朝鮮、韓国)に帰れないまま、 インドネシアやタイに残った元慰安婦だった人たちのことが出てくるけど、 この映画の中でも中国、武漢の慰安所に連れてこられたまま故郷に帰れない人たちが出てくる。 彼女たちのほとんどが「慰安婦だったことを恥じて故郷に帰れなかった」と語っている。 彼女たちが言い出さないことをいいことに日本政府はこの問題には触れないようにしてきた。
 せめて「故郷に里帰りしたい」という彼女たちの願いが実現できるよう私たちも なにかできないかと思う。もっとも、今回の民間基金構想より以前から、 〈トラジバッジ〉を売り、その収益を彼女たちに送るといった民間募金など、 日本の女たちの間でそういう活動はあったのだけど、一般にはあまり知られていない。 これは韓国で「アリラン」と共に親しまれている歌「トラジ(桔梗)」をイメージしたバッジ。 桔梗は韓国でとても親しまれている花でもある。
 体がきついと言いながらも、日本政府への正式謝罪と補償を求めて彼女たちが 毎週水曜日に行なっている日本大使館前での行動へ出かけて行く姿が写し出される度に、 日本人の私としては日本政府の責任回避にはがゆい思いをした。元従軍慰安婦への補償が 民間募金というのでは日本政府の責任回避に利用されているとして三木睦子さんが 政府委員を降りたように、欺瞞に満ちた民間募金ではなく、日本政府からの正式謝罪と 補償金が一日も早く、彼女たちが生きているうちに支払われるべきだと、 この映画を観て切に思った。
 とても残念なことだけど、この映画の公開初日に右翼の妨害があった。 そんな妨害にもめげず公開を続行したBOX東中野の勇気を讃えたいし、 この映画を支えた多くの日本人もいる。 監督は、今も彼女たちの姿を撮り続けているそうだけど、 今度はそんな日本人のこともぜひ紹介して欲しいと思う。

[ビョン・ヨンジュ監督写真]


イタリアンネオリアリズムが
一瞬、蘇ったかのような

イル・ポスティーノ

こういう映画が好きです

佐藤

 チリの作家の原作だという。でもこれは、まさか小説ではないだろう。 パブロ・ネルーダという実在の人物がでてくるのだから、伝記のエピソードの一つを ネルーダの詩のように映画として作ったのだと思う。 『サンチャゴに雨が降る』『チリの全記録』 (ミゲル・リティン監督「戒厳令下チリ潜入記」— シネマジャーナルNo.2参照) 以来私はチリの映画をみていない。そういえば、チリは今どうなっているのだろう。 チリの民主化は進んでいるのだろうか。チリの革命詩人として独裁政権下、 戦っていたパブロ・ネルーダは祖国をおわれイタリアに亡命してくる。 一九五十年初頭。ナポリの沖の小さな島がこの詩人の亡命地となった。 詩人は美しい妻を伴っている。素朴な漁民の息子マリオは、父に連れられて 漁に出ているが、どうも漁師には向いていない様子。ぶらりと映面館に入ったマリオは、 ヨーロッパに亡命してきたネルーダが人々の歓迎にあっているニュースを観る。 帰り道、通りかかった郵便局の前のはり紙にバイトの文字。翌朝面接に行くと、 バイト代はわずかだと言われる。彼がもらった仕事は、丘の上のネルーダの家にだけ、 毎日手紙を届けるというものだった。この素朴な漁民を演じるのは、 俳優ではないマッシモ・トロージ。この映画撮影終了翌日に亡くなったというのでも、 話題になっている。演技がうまいわけではないのだが こういう人がいるんだなーと思わせるなんというか、飾り気がなく、 純朴でというイメージそのままの姿で画面の中に立っている。 もうそれだけで私など感激してしまう。ネルーダを演じるフィリップ・ノワレは フランスのベテラン俳優。素人のトロージとの掛け合いがとてもいい。 ネルーダはこのマリオに自分がどうして詩人になったのかをさりげなく語る。 「雨が一年中降らないパンパ。そこの鉱山で働く工夫に会った。彼の目は真っ赤で、 体中は油で真っ黒だった。彼らの気持ちを彼らの代わりに詩に書かねばと思ったのだ」 素朴なマリオがだんだんネルーダに魅かれていき、自分も詩を書きたいと思いだす。 本を買ってきて隠喩(メタファー)の勉強をはじめる。 村唯一の酒場の娘に恋をしてしまった彼は、彼女に隠喩で恋を告白しはじめる。 男はそんな言葉を出す前にスカートの中に手を入れるものだということを信じている彼女の保護者のおばさんはそこのところがよくわからない。 メタファーだかなんだかわからないものに娘の心が動いている、 とネルーダに訴えてくるのもおかしい。 マリオとこの娘の結婚式当日、ネルーダ夫妻は追放命令が解けたとの嬉しいニュースも受け取る。
 ネルーダは帰った。帰ってしまった詩人に彼は島の音を録音して届けることを思いつく。 「ニメロ、アン、波の音(網の音だったかしら)」「ドウ、風の音」… そして満天の星の音(聞こえないけど私たちには見えるし聞こえる)、 妻のお腹の子供の動く音。大きな旧式な録音器材を郵便局長が改造して手伝ってくれ 二人で音を作って行く。美しい島の自然とこれらが重なって詩情が溢れ、 涙がとまらなかった。




鯨の中のジョナ

?悲しい時は鯨のお腹で暮らしていたジョナの話を思い出して?

志々目純子

 これは、ヨーロッパ中を吹き荒れたナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれた一家の話である。
 1940年代のアムステルダム。優しい父と母の愛情に包まれて、 幸せに暮らすジョナの一家があった。 しかし、いつも服の胸にユダヤ人であるという印の黄色い星を縫いつけなければならず、 その為店では物を売ってもらえない。公園からも締め出され、 通りでは子供にいじめられる。 しかし、幼いジョナにはなぜ自分がそんな目に会うのかもわからない。 そしてある日突然、ジョナの一家はナチスによって仮設施設に連れていかれる。 それでもイスラエルのビザをもっているので、いざとなれば逃れられると 希望を抱いているのだが、ナチスの前には何の意味もなく、数年後、強制収容所に送られ、 そして父親とは別の棟に入れられ会うこともできない。
 この時代を描いた映画には『シンドラーのリスト』『ショアー』などがあるが、 この映画は子供たちのホロコーストそして家族の絆を描いたもの。ジョナを通して、 ホロコーストでの収容所が語られ、その中で子供たちがどのように過ごし成長したかが、 描かれている、現実に子供達を取り巻く世界は過酷なものものだった。 寒さ、飢え、そして病気、しかし、そんな中でも、子供達は「遊ぶ」ことを忘れない。 父親の死にも涙を見せなかったジョナは、大きい子供たちの仲間に入るための度胸試しで、 死体置場に閉じ込められる。そこでジョナはたくさんの死体を目にする。 常に死が隣り合わせの毎日…。
 ソ連軍によって解放された後は、天国のような毎日だった。 しかし、肉体も精神も病んだ母は、悲嘆と衰弱のうちに息を引き取ってしまう。
 その後、ジョナは養父母の元へ引き取られるのだが、 母親がそばにいることで精神の平衡を保っていたジョナは、心に傷を負って、 心を閉ざし続ける。そんな彼に再び子供らしさを取り戻してくれたのは、 幸福だった頃の優しかった父親の笑顔だった…。
 何十万、何百万というジョナと同じような家族があった。そしてその多くは 生きて収容所をでることは不可能だったのだ。原作者自身 「私が収容所を出る事ができたのは両親の愛のおかげだったということを この映画で気付いた。」というコメントを残している。

 この映画で優しくちょっとダンディな父親役を演じたのは、 ジャン=ユーグ・アングラード。実は最近ちょっとハマッている。 ついつい根がミーハーなので、もう1年早ければ、フランス映画祭で実物に会えたのに などと地団太踏んでももう遅い。せめて今年公開の作品はせっせとチェックしている。 『世界で一番好きな人』では、 少女にふりまわされるプレイボーイの小児科の医者。 『とまどい』 ではちょっと影が薄かったけど…。 この映画と同じ年に撮られた 『キリング・ゾーイ』のイッちゃって、きれちゃった役といい、 幅広い役者だと感心している。
 原作はヨナ・オーバースキー、「チャイルドフッド」(キネ旬報社刊)。 1993年、イタリア映画。
 7月22日より俳優座トーキーナイトでロードショー、




大阪ストーリー

《'94国際学生映画祭グランプリ受賞》

出海

 プロフィールによると、監督は、韓国人の父と日本人の母の間に、 7人兄弟の長男として生まれたとある。兄弟は7人。姉が5人に弟1人。 アメリカのカレッジを卒業し、日本映画学校を一学期で退学し、大映国際部に入社。 2年半後には国際文化交換協会の留学生募集に合格し、英国の国立映画テレビ学校に入学。 この『大阪ストーリー』は卒業制作として作られたものである。 監督の個人史と見ることもできる。金融業とパチンコ店経営で成功した父。 子供を次々育てながら父を支えた母。 映画なんかにとりつかれ何を考えているのかわからない長男。 統一教会の信者で、韓国人の女性と合同結婚し父の後を継いでビジネスに励む弟。 姉の中には眼科医になった女性もいる。これだけでも充分話題満載なファミリーである。 家族が父を中心に一団となって頑張る裕福な大家族の和気あいあいとした話しかなあと思った。 しかし、見終わる頃には家族は形だけ、いったい何でつながっているのだろう…、 血族って何だろう…など色々なぶつけどころのないストレスが沸いて来た。 お母さんがしきりに『お父さんが私に墓をかえと言う』と言って不思議がるシーンがある。 韓国に墓があるんだからそんな必要ないのに。 これがお母さんのお父さんに対する不信感になっていき、監督が、 韓国での父の行為を知るにしたがい映画も家族も変質してくる。 韓国に父の妻がいることは知っていた。でも子供がいて、最近結婚式を上げたこと。 商用と称して渡韓するたびにその家に帰っていたことなど取材の中で分かって来る。 二つの家庭を行ったり来りしている父。いくら人情に厚く、 苦労人で事業に成功した金持ちでも父をどう受け入れていいのか… ナイーブな監督の心を傷つけないわけがない。自分がゲイであることの告白が、 父が象徴する封建社会、父権社会へのNOという意思表示だったとしたら これで父と対等にやり合える土俵にのったということだろう。 今度は中田監督の劇映画も見てみたい。

監督:中田統一




“情断外婆橋”

上海ルージュを観て〜

斎藤 愛

 これが地元の新聞が報じた、張芸謀コン・リーの破局の見山し。 「外婆橋」って一休何だ?と思いきや、 現在製作中の彼ら二人による映画のタイトルの中にある言葉だった。 『揺[o阿]揺、揺到外婆橋』 というのがそれで、内容はオールド・上海のギャング映画だということ迄しかわからなかった。
 当時の新聞の書き方は、芸謀に同情的で、 山東省生まれの田舎者で中央戯劇学院の学生だったコン・リーを見いだし、 それまで連れ添っていた「老婆」(糟糠の妻、といったところ?)を実質上見捨てて 公私共にパートナーシップを組んでいたのに、今になってコン・リーの方が芸謀を捨てた、 といった調子だった。 さらに、コン・リーは今までにも芸謀以外の監督が撮った作品にも出てはいるが、 どれもぱっとしない。果してこの別れが、彼女にとってはよい選択だったのか否かは 大いなる疑問だ、という文でしめくくられていた。 春まだ浅く、ほこりっぽい中国大陸で初めてこのニュウスに接した時、私はショックで、 誰彼構わずふれ回り慰め合おうとした。しかし皆割りと冷静で、 いわゆるよくある芸術家たちの気まぐれがまた始まった、とでも言いたげな雰囲気だった。
 さて、その情が断たれた外婆橋だが、今年になってようやく日本公開された。
 これを観る前に、私は彼らのもう一つ前の作品、『活着』を観る機会があった。 コメディー役者の葛優との共演で、コン・リーが彼のズッコケに引きずられていたら どうしようと何故か心配だったがそんな心配は無用だった。 映画を観たのはアメリカだったが、これが中国大陸だと観客はどんなシリアスな場面であろうとも、 葛優が出てくると大笑いするのだ。実際『覇王別姫』を観てた時だってそうだった。 何でおかしくもないのに笑うのかと中国人の友達に聞いたら、 彼のキャラクターがもうコメディー役者ということで定着していて、 出てくるだけで条件反射的におかしくなっちゃうのよと言っていた。 そんな役者にシリアスな役を与えていいんだろうか? それはともかく、『活着』は映画全体のトーンが『秋菊打官司』に似ており、 「ユーモラス」さに小粒の山椒をピリリ、ときかせた娯楽もの、という感じ。 その山椒がどうやら中国大陸ではききすぎたようで、未公開のままとなっているらしい。 ただ、取り上げる題材やコン・リーの役どころなども、今までの芸謀路線をいくもので、 期待を裏切らないという意味で安心して観られる芸謀×コン・リー作品だった。
 日本で公開された『外婆橋』は、『上海ルージュ』というタイトルになっていた。 中国の映画雑誌『電影故事』一九九五年三月号に芸謀のインタビューが載っている。

この映画にはいくつかのタイトルが考えられていましたね。 例えば『上海往事』とか『上海再見』などですが、『揺[o阿]揺、揺到外婆橋』 というのが最終決定なのですか?
「いや、まだ決まっていない。これは映画の中で二人の子供が歌う童謡の初めの一節なんだ。 皆この名前が長すぎるとかタイトルらしくないという。 だけどタイトルがこうでなくちゃいけない、なんて決まりはないだろう?」

 芸謀は故意にこの「長く」て「らしくな」いタイトルを選んでいる。 そしてそれまでの芸謀自身の作品とは明らかに異なっている。 『紅高梁』『菊豆』『大紅灯籠高高掛』 (これもちょっと長いような気がするが…)といったタイトルの作品は、 いずれもシンボリックな手法で作られ、映像美のことが取り上げられ、 作品それ自体に社会へのメッセージといったものは希薄という印象だった。 ところがこの三十年代の上海の黒社会(マフィア)を題材に取り上げたこの作品は、 明らかに社会へのメッセージがこめられている。もちろん、 今では神話と化した三十年代の魔都上海を幻想的に描くその映像美は言うまでもない。 しかし、それに加えて、彼にとっては初めて「贅沢な生活」「物資的豊かさ」 を扱った映画で、芸謀は「中国人に権力や物質の所有より、 大切なものがあるということを言いたかった。人生で重要なことは、愛と寛容です。」 と語っているという。(上海ルージュ日本上映パンフレットより) このことがこの作品を芸謀の今までの作品とは一線を画す要因となっているようだ。
 また、コン・リーの役どころ!上海一の歌姫、マフィアのボスの愛人の小金宝 (シアオ・ジン・バオ)。名前もスゴい。 彼女が今まで俗っぽく歌ったり踊ったりするところを観たことがなかった我々は、 一様に皆不安が先に立ったのではないだろうか?少なくとも私はそうだった。 皆がうっとりするような歌と踊りを、果してあの、田舎者の役ばかりやっていた彼女が… という不安。 三十年代の上海における華麗な風俗文化をどんな風にゴージャスに描き出してくれるのか… という不安。結論から言えば、"還可以"(まあまあ)であった。 アッと胸をつかれるような出来ばえではないにせよ、何とかクリアしていたかな、 といった感じ。それもそのはず、特異な美意識の持ち主である芸謀が納得いくまで コン・リーはレッスンを重ねたようなのだ。
 映画は皆で作るもの、と考えている芸謀は、自分が掟だと言わんばかりに 上に立ってあれこれ指示するだけのやり方をとらないようだが、 おそらくコン・リーに対しての要求は高いのだろう。彼女もその信頼に応えるべく、 努力するしかない。『花好月円』(紅いチャイナドレスを着て、しっとりと歌い上げる曲。 すてきだなあと思った途端、客人を接待中のボスからの命令で中断させられ、 別の歌を歌うために着替えさせられてしまう!)を練習中に、 芸謀はこんな風に指示している。
 コン・リーが歌い終わってスタジオから出てきて、「どうかな? 歌い方、 俗っぽさが足りるかしら?」と聞いたので、周りの人間は皆笑い出してしまい、 芸謀も笑いをこらえて、「いいかい、これは三十年代の歌姫なんだ。 その時代の雰囲気を出さなくちゃならない。君は虐げられた屈辱的な キャバレーガールなんだよ。次の三つを押さえておくんだよ。笑みをたたえて歌うこと、 猫みたいにね。それから鼻にひっかけた甘い声で歌うこと。 しなをつくって媚を売るようにしながら歌うこと。 旧社会で歌を歌って生きていた女だということだよ。」という風に。
 誇り高く強い意志を持った土着の女神のようだったコン・リーの 今までの役とは何たる相違であろうか。そうして、孤島で子供らと水辺に立って 「揺[o阿]揺到外婆橋〜」と歌うコン・リーは、何と哀しい姿をしているのであろうか。 同じく孤島のあばら家のような小屋で、水生に自分の子供の頃を話して聞かせ、 「私も囲舎者だったのよ・・・郷巴[イ老]児小金宝児・・・」 と歌うように口ずさむ彼女も、如何にも淋しい。虚勢を張っていばりちらし、 権力者に媚を売ってその地位を得ている彼女を不快に思ったが、 なんとも物悲しさを感じたのも確かだ。
 宋二爺との密通が露わになり、その宋の反逆までもが発覚した後で、 小金宝は「活埋」になる。ボス・唐は彼女の代わりとして育てるべく、 純粋な田舎の少女を連れ去る。この構図が、何故かコン・リーと芸謀の組み合わせに 重なって見えてしまうといったら、言いすぎだろうか。実際の彼らは、対等な立場にあり、 私的関係を解消したとしても、また共に映画を製作する可能性だって否定はされていない。 しかし、哀しい運命の小金宝が、どうしてもコン・リーとだぶってしまうのだ。 皆に愛され、舞台で喝采をあびるよう、歌い踊るが、彼女のささやかなる反抗が、 命までもを奪う結果となる。山東の田舎出身だった彼女は国際的中国人女優にまで仕立てあげられ、 ある日を境にパートナーから降ろされる。 私が映画を観ながらどうも素直に映画の世界へ没頭していけない、とひっかかっていたのは、 たぶん、最初に見た、「情断外婆橋」という見出しに取りつかれてしまったせいなのかもしれない。 現実の世界のコン・リーが小金宝のように「活埋」されず、 今後も活躍する姿を早く見たいと思う。




バルセロナの恋人たち

ブラック・コーヒーの味わい

曽我部隆一


しばらくお待ちください


★インフォメーション

矢ロ書店洋書部

 三〇号「映画好きのための神保町地図」にも載せた映画専門の古本屋、 矢口書店ですが洋書部があるのを見つけました。 本店からちょうど御茶ノ水方面を見た方向にあります。 ちょっと路地裏なので見つけにくいですが、 ファンにとっては生唾ものの洋書の古本専門店です。 本店の洋書が全面移転レたそうで、洋書の映画本が壁いっぱいに!  洋書の雑誌類も結構古いものからあります。

東京都千代田区神田神保町一‐八  第一野ロビル一〇一
           TEL/FAX 〇三‐三二九六‐〇一七一
営業時間       月〜土  11:00〜19:00
           祝祭日  11:00〜18:00
           定休日 毎日曜日
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