女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
37号 (1996.06)  pp. 72 -- 74

北京便り III



N. 藤岡

 早いもので、北京での留学生活も、十ヵ月が経過しました。前学期 (中国の学校は九月に始まり翌年七月に修了するシステムです)は、 中国語のみを勉強する語学留学でしたが、今学期つまり今年の三月から、 北京電影学院に転校し、電影文学系[映画文学科]劇作[シナリオ]専攻で、 中国人の学生にまじって、専門の授業の聴講をしています。 正式の試験をパスしている訳ではないので、あくまで“聴講生” (こちらでは“進修生”と呼ばれる)という仮の身分(?)ですが、クラスの制約を受けずに、 文学科なら一年生の授業も、三年生の授業も、研究生(大学院生を指します)の授業も 自由にとることができ、課題や試験も強制ではありません。もちろん、 真剣に取り組めば中国人の学生と同じ内容のものを学び、身につける機会が 与えられている、ということになります。良くも悪くも、 “自由”な立場ですごしてみたこの三ヵ月、この学校で見聞きした中国映画の “今”の姿を、ささやかながら、お知らせしたいと思います。


★授業について

 九十五年入学の脚本科一年生の専門授業には(1)「電影編劇基礎」 (2)「電影技術概論」(3)「表演芸術(演技)」(4)「外国電影史」 (5)「ビデオ鑑賞」があります。(1)では、一学期から実際にシナリオを書く課題が出るし、 (2)で撮影機器操作の基本を学び、自分で書いたシナリオをもとに、 五〜十分の短編を撮る、といった具合。私は(1)に出ていますが、はずかしながら、 内容をきちんと理解出来てるとは言い難いので、何ともコメントのしようがありません…。 ただ「編劇」(脚本家)になるために、学校が学生にどんなことを求めているか、 何が必要だと考えているか、何となくわかってくるような気がします。


★映画鑑賞の時間

 週に二回、夕方六時から、映画の上映会があります。一日は外国映画、 一日は中国映画です。外国映画は、前学期は古典的名作が主だったらしいのですが、 今学期は八十年代以降の比較的新しい、しかも娯楽作品が多いです。 中文字幕のある時は良いのですが、つらいのは、恐怖の“一人吹き替え”の時。 一人の訳者が、全ての役柄・ナレーションを吹き替えるのです。一般公開用ではない、 資料用フィルムのせいか、おそらく声優ではない、翻訳スタッフ(?)の 抑揚のない声が、オリジナルの音声にかぶさるように(しかも少しずつズレながら) 聞こえてくる、という代物。これは、ハッキリ言って、集中してみつづけるのには、 かなりの忍耐を要します。中国では、一般の映画館で洋画を上映する時も、 吹き替えがふつう。但し、こちらはきちんと一役一人の声優がついています。 感情移入が激しすぎて、やたら息がゼイゼイいっているのが、少々気にはなりますが。
 中国映画は、新作がメインです。最近上映された話題作をいくつか挙げてみると、

●《太陽有耳》(監督:厳浩、主演:張瑜、尤勇、 ベルリン映画祭最優秀監督賞及び国際影評人最優秀作品賞受賞)

●《日光峡谷》(監督:何平、主演:揚貴媚、王学圻、張豊毅、ベルリン映画祭特別賞受貰) →『双旗鎮刀客』『哀恋花火』 に次ぐ何平監督第三作。キャッチコピー風に言うなら、 「中国西北部の雄大な自然を背景に繰り広げられる愛と復讐の物語」といったところか。 しかし、この作品、張豊毅の役どころが、二十才そこそこの若者、という設定で、 そこの所がなかなか飲み込めなかった私にとっては、いま一つ納得できない物語だった…。 この時は客席に著名な作家であり脚本家であり最近では 《我是nibaba》 で初の監督を務めた王朔、彼と名コンビでテレビドラマ監督・脚本家の馮小剛、 女優の徐帆(『再見のあとで』)らの姿がありました。 私はミーハーにも、上映前、用もないのに通路をウロウロして 横目でしっかり徐帆を観察してしまった。とってもきゃしゃで清楚な感じの人でした…。

●《人約黄昏》(監督:陳逸飛、主演:梁家輝、張錦秋) 画家として名高い 陳逸飛の第二作、千五百万香港ドルを投資、三十年代上海が舞台で、主役が梁家輝、 相手役の張錦秋は中国版スーパーモデル。これだけの条件がそろったら、 耽美な画面を期待するしかない。こう言っては何だけれども、 この際ストーリーはヨコにちょっとおいておいても良いではないか。 ところが北京の学生たちは、三十年代の上海の様式美には、 さして心動かされないと見え演技がクサイと言っては、シリアスなシーンで 大笑いをしていた。どうでもいいけど梁家輝、着替えのシーンでズボンを脱いだら 下にパンツをはいていなかった…。そんなにおしりを見せたいのか?

●《贏家》(監督:羅建啓、主演:寧静、邵兵、耿楽) 珍しい現代青春もの。 今やすっかり売れっ子となった寧静、電影学院表演系(俳優科)卒業の邵兵、 美術学院卒業の異色俳優耿楽の共演によるラブ・ストーリー。 寧静扮するヒロインが、青年実業家の恋人(耿楽)がありながら、 陸上に情熱を注ぐ身障者の青年(邵兵)に心ひかれてゆき、やがて真実の愛に目覚める… といったもの。ところどころ、昔なつかしい青春ドラマを見ているような錯覚に陥る演出でした。 でも、中国映画において、こういうジャンル自体が稀少なのと、主演の耿楽、 邵兵共にナカナカの男前であること、最後の最後まで好きになったひと(邵兵) が義肢をつけてることに気づかないという寧静の大ボケぶりが (→無理のある設定だと思うのだが・・・)かわいらしかったので。 まあ、私は楽しめました。

●《談情説愛》(監督:李欣、主演:趙文[王宣]、王亜南) 電影学院九十三年卒の若手監督によるこれまたラブ・ストーリー。 三人の登場人物が、ある喫茶店で友人に語ってきかせる三つの恋物語 (正確には二つ半といったところか…)が、少しずつ重なりあっているという、 ヒネった構成でした。また、『フォレスト・ガンプ』や、 『バートン・フィンク』などの洋画のパロディらしきシーンが出てきたり、 趙文[王宣]の主演したパートでは、彼が調子はずれなピアノの鍵盈を叩いてみせたり (こちらは『紅バラ、白バラ』)と、ディテールに遊び心があるところが、新鮮でした。 さすが(?)上海映画撮影所作品。ラストがいま一つだったものの、 全体にしゃれっ気のあるライトな感じで気に入ってしまいました。


 観客のほとんどは、電影学院の学生及ぴ関係者。先輩なのか友達なのか、 知ってる名前がスタッフやキャストとしてクレジットされ ると、オオ〜という歓声と拍手が起きるのを聞くのは、なかなかいいものです。 ただ、上映中は、前述のとおり、好きなように笑うは手は叩くは (肯定の場合も、その逆の場合も)、監督がこの場にいたら、 とてもいたたまれないのではないかと思うこともしばしば。 そして、エンド・クレジットを待たずして、“完了!”(終わった!)と怒鳴って、 ゾロゾロと出てゆきます。やはり、一般の観客とは反応が違うと言えましょう。 言葉は悪いけれど、“映画ズレしてるとでも言いましょうか。 授業で見るビデオを含めると、週に六〜七本みることも珍しくありませんから、 無理もないのかもしれませんが。


★政府による映画改革の動き

 一九九六年三月二十三日から二十六日の間、「秀作を多く作り、 繁栄を促進し、中国映画の第三次黄金期を迎えよう」というスローガンを掲げ、 全国電影工作会議が湖南省長沙市で開かれました。これは広播電影電視部(映画.テレビ省) 主催によるお役人の会議で“映画産業の発展のための業界の改革”が主なテーマ。 そして、九六年から二〇〇〇年までの五年間に毎年十本、 計五十本の優秀な映画を作ること、という“秀作戦略”なるものが決定したのです。 計画生産は社会主義の経済の基本というわけか...。初めてこの戦略を耳にした時は、 うーんとうなってしまいました。では、“秀作”とは一体なにか?  どのような映画を指すのか? その定義も会議上でしっかりなされているのですが、 引用するとあまりにも長くなるので、ここでは省きます。一言で言うなら、 「共産党の文芸方針原則」にのっとっているのが大前提、ということです。 この決定の影響は早くも出始めていて、各映画撮影所は、既に製作を始めた作品 又は製作予定の作品の抜本的な見直しと調整を始めました。このため、 上映許可の下りなくなった作品もあります。学院の先生の話によれば、この通称 “長沙会議”は、中国映画史上において、まちがいなく大きな転換点となるだろう、 とのこと。中国映画が、今後一体どんな方向に向かっていくのか、 漠然とした不安を抱かずにはいられません。
 ただ、この会議上で気になる発言がもうひとつ。いわく、 「われわれの映画は…(中略)…中国の観衆の要求を第一とせねばならない」。 また、映画新聞のコラムで、「中国の全ての観衆を満足させる映画をとるのは、 国際映画祭で受賞するよりも、はるかに難しい」といった文章を 目にしたこともありました。北京に来てからというもの、 しばしぱ考えさせられるテーマです。


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 本来は、この夏で終わるはずだった、北京留学…。けれどもとりわけ 電影学院に来てからというもの、去り難い気持ちでいっぱいです。 何もかもが素晴らしい!という訳では、もちろんありませんが、 とにかく毎日のように映画をみたり、映画のことを考えたり映画を語ったりしてすごす生活は、 何やら麻薬のように、病みつきになってしまうのです。小さなキャンパスのどこかしらで、 黄嘉(《新夜半歌声》出演・俳優科研究生)や 謝園(《子供たちの王様》ほか主演・俳優科教官) に出くわしたり、監督科の学生たちが、ワイワイと課題の短編を撮っているのを 見かけたりすると、“よし、もう一年・・・!”というファイトがわいてきます。 この北京便りを、秋以降も続けられることを念じつつ・・・。




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