N. 藤岡 早いもので、北京での留学生活も、十ヵ月が経過しました。前学期 (中国の学校は九月に始まり翌年七月に修了するシステムです)は、 中国語のみを勉強する語学留学でしたが、今学期つまり今年の三月から、 北京電影学院に転校し、電影文学系[映画文学科]劇作[シナリオ]専攻で、 中国人の学生にまじって、専門の授業の聴講をしています。 正式の試験をパスしている訳ではないので、あくまで“聴講生” (こちらでは“進修生”と呼ばれる)という仮の身分(?)ですが、クラスの制約を受けずに、 文学科なら一年生の授業も、三年生の授業も、研究生(大学院生を指します)の授業も 自由にとることができ、課題や試験も強制ではありません。もちろん、 真剣に取り組めば中国人の学生と同じ内容のものを学び、身につける機会が 与えられている、ということになります。良くも悪くも、 “自由”な立場ですごしてみたこの三ヵ月、この学校で見聞きした中国映画の “今”の姿を、ささやかながら、お知らせしたいと思います。 ★授業について九十五年入学の脚本科一年生の専門授業には(1)「電影編劇基礎」 (2)「電影技術概論」(3)「表演芸術(演技)」(4)「外国電影史」 (5)「ビデオ鑑賞」があります。(1)では、一学期から実際にシナリオを書く課題が出るし、 (2)で撮影機器操作の基本を学び、自分で書いたシナリオをもとに、 五〜十分の短編を撮る、といった具合。私は(1)に出ていますが、はずかしながら、 内容をきちんと理解出来てるとは言い難いので、何ともコメントのしようがありません…。 ただ「編劇」(脚本家)になるために、学校が学生にどんなことを求めているか、 何が必要だと考えているか、何となくわかってくるような気がします。 ★映画鑑賞の時間 週に二回、夕方六時から、映画の上映会があります。一日は外国映画、 一日は中国映画です。外国映画は、前学期は古典的名作が主だったらしいのですが、 今学期は八十年代以降の比較的新しい、しかも娯楽作品が多いです。 中文字幕のある時は良いのですが、つらいのは、恐怖の“一人吹き替え”の時。 一人の訳者が、全ての役柄・ナレーションを吹き替えるのです。一般公開用ではない、 資料用フィルムのせいか、おそらく声優ではない、翻訳スタッフ(?)の 抑揚のない声が、オリジナルの音声にかぶさるように(しかも少しずつズレながら) 聞こえてくる、という代物。これは、ハッキリ言って、集中してみつづけるのには、 かなりの忍耐を要します。中国では、一般の映画館で洋画を上映する時も、 吹き替えがふつう。但し、こちらはきちんと一役一人の声優がついています。 感情移入が激しすぎて、やたら息がゼイゼイいっているのが、少々気にはなりますが。
観客のほとんどは、電影学院の学生及ぴ関係者。先輩なのか友達なのか、 知ってる名前がスタッフやキャストとしてクレジットされ ると、オオ〜という歓声と拍手が起きるのを聞くのは、なかなかいいものです。 ただ、上映中は、前述のとおり、好きなように笑うは手は叩くは (肯定の場合も、その逆の場合も)、監督がこの場にいたら、 とてもいたたまれないのではないかと思うこともしばしば。 そして、エンド・クレジットを待たずして、“完了!”(終わった!)と怒鳴って、 ゾロゾロと出てゆきます。やはり、一般の観客とは反応が違うと言えましょう。 言葉は悪いけれど、“映画ズレしてるとでも言いましょうか。 授業で見るビデオを含めると、週に六〜七本みることも珍しくありませんから、 無理もないのかもしれませんが。 ★政府による映画改革の動き 一九九六年三月二十三日から二十六日の間、「秀作を多く作り、 繁栄を促進し、中国映画の第三次黄金期を迎えよう」というスローガンを掲げ、 全国電影工作会議が湖南省長沙市で開かれました。これは広播電影電視部(映画.テレビ省) 主催によるお役人の会議で“映画産業の発展のための業界の改革”が主なテーマ。 そして、九六年から二〇〇〇年までの五年間に毎年十本、 計五十本の優秀な映画を作ること、という“秀作戦略”なるものが決定したのです。 計画生産は社会主義の経済の基本というわけか...。初めてこの戦略を耳にした時は、 うーんとうなってしまいました。では、“秀作”とは一体なにか? どのような映画を指すのか? その定義も会議上でしっかりなされているのですが、 引用するとあまりにも長くなるので、ここでは省きます。一言で言うなら、 「共産党の文芸方針原則」にのっとっているのが大前提、ということです。 この決定の影響は早くも出始めていて、各映画撮影所は、既に製作を始めた作品 又は製作予定の作品の抜本的な見直しと調整を始めました。このため、 上映許可の下りなくなった作品もあります。学院の先生の話によれば、この通称 “長沙会議”は、中国映画史上において、まちがいなく大きな転換点となるだろう、 とのこと。中国映画が、今後一体どんな方向に向かっていくのか、 漠然とした不安を抱かずにはいられません。 本来は、この夏で終わるはずだった、北京留学…。けれどもとりわけ 電影学院に来てからというもの、去り難い気持ちでいっぱいです。 何もかもが素晴らしい!という訳では、もちろんありませんが、 とにかく毎日のように映画をみたり、映画のことを考えたり映画を語ったりしてすごす生活は、 何やら麻薬のように、病みつきになってしまうのです。小さなキャンパスのどこかしらで、 黄嘉(《新夜半歌声》出演・俳優科研究生)や 謝園(《子供たちの王様》ほか主演・俳優科教官) に出くわしたり、監督科の学生たちが、ワイワイと課題の短編を撮っているのを 見かけたりすると、“よし、もう一年・・・!”というファイトがわいてきます。 この北京便りを、秋以降も続けられることを念じつつ・・・。 |