< シネマジャーナル33号 女たちの映画評
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
33号   pp.79--82

■女たちの映画評


  『レニ』
  『午後の遺言状』
  『動くな、死ね、甦れ!』 『ラテンアメリカ光と影の詩』
  『ネル』
  『GO fish』

試写室より

レニ


脚本/監督:レイ・ミュラー
1993年*35mm*カラー*182分*ヴィスタ・サイズ

レニ・リーフエンシュタールのすべてが、わかる映画。
わかってやっぱり、いやな人だと思った。

R. 佐藤

 もう二十年近くもたってしまったが、女たちの先の戦争への加害性を 掘り出そうという視点で始められた『銃後史ノート』の同人でいた頃、 レニのことを調べたことがあった。その時、彼女が監督した映画 『意志の勝利』 (ナチ党大会の記録映画)や『オリンピア』 (ペルリンオリンピック記録映画)を観たが、 これらの映画作成時の過程を知りすぎていたため、こんな風に撮れば人々を ファシズムに乗せられるのかということばかり考えて観ていた。

 戦後、五十年もたって93才にもなっている彼女が、まだきちんと論争できるなら、 いったいどんな風に自分の人生を語るのか、だれもが興味を持つドキュメントである。

 レニは93才というが、きわめて健康であった。まず最初にレニが山岳映画監督 A・ファンクとどのように出会ったかを披露、駅のホームでポスターを観て、 監督に私を使ってと手紙を書いたとのこと。

 素早い行動力である。採用され主演した5、6本の映画が挿入される。美しいレニが なんとスタントマンも使わずスカートで高い岩山を裸足でよじ登るのだ。ため息の出る 美しい映像だ。吹雪のなかでも撮影条件が整うまで我慢させられたと聞いて きわめて健康な体を持っている人という印象を受けた。

 そして、ナチとの出会いは?友人に大会に行ってみるように勧められ、最初まったく 相手にしなかったが、きまぐれに出掛けて、驚愕し、感銘を受けたと語る。そして、 また直ちにトップに会いに行く、というパターン。ヒットラーに会った時、 彼はオーラを発していた(こんな風な表現をした、私は麻原彰晃を思い出してしまった) と素直な感想を。またゲッペルスは好みでなかったと、言う。はっきりと外見を 言ってるととれる物言いで。ゲッペルスの日記にレニと共に夜をすごしたとあるが? との問いには彼の妄想とキッパリ。彼らに莫大な金を出させて作った前出の二作に関して、 それらをテクニック的に語ることには冗舌だが(四百?qものフィルムを二年間 寝る間も惜しんで編集したことなど)、その作品が人々に与えたであろう政治的な影響力に 関してはかたくなになる。私のどこに罪があるのともいい放つ。

 自分の美意識に従って踊り(最初はダンサー)、登り、監督し、撮影(戦後のヌバの写真) してきたレー二・リーフエンシュタール。彼女が生まれながらにして持ちえていたのは、 非常に鋭い美術的センスだけではなかったのではないか。

 彼女は政治に関しては無知だったというが、「無知であったということも、 加害の一端である」ということを深く認識してほしい。エキストラとして 収容所のジプシーをつかうなど、彼女の成す行動にはひとの心をつかむ優しさがない。 映画の心を最後まで知ろうとせず死んでいく気の毒な人としかいいようがない。 この映画の監督レイ・ミュラーはこのことを私に改めて認識させてくれた。



試写室より

午後の遺言状

日本の 『八月の鯨』
杉村春子の演技は 胸が痛くなる程 うまい!!

R. 佐藤

 ヘラルドの新しい試写室は、何度か利用させていただいたが、とてもゆったりしていて 素晴らしい。試写もこういう場所だと浮き浮きとしてしまう。私は映画を観て よく笑うので、隣に新聞、雑誌でお馴染みの評論家先生がいるという雰囲気は、 堅苦しくリラックスできないので試写室というのは、どうも苦手である。 隣の方が笑わないのに私が突然笑うというのが、ちょっと格好をつけているので できないのがいやだ。が、このヘラルドは、階段状なので、ゆとりのある後部座席に 座ってしまえぱ、好き勝手に映画を観れる。他の試写室では、驚くべきことだが、 あまりに小さいせいか笑うところも笑えず、泣きたい時も遠慮した泣き方になる。 私にしてそうだから、ほかの方の感情も全体的に低いトーンだ。 とても大劇場のノリは味わえない。こういう所で映画を硯て、知ったようなことを 書くお仕事というのも大変だなあ、と試写室に行く度に思う。また、試写室で 評論家諸氏が出会って挨拶など交わしている風景をよく見るが、映画の後で 連れ立ってお茶に行く風景は殆どみない。大抵みんな孤独に散っていく。 試写室というのはこんな変な世界なのです。

 前置きが長くなりましたが、この映画、私はゲラゲラ笑いました。 杉村さんが上手くて上手くて、こたえられません。絶妙の間のとり方、 台詞の言い方の自然さ。対する乙羽さんは気のせいでしょうか、 少し演技が堅い。二人の掛け合いでも動作が鈍く、どーんと立った まま、台詞をただしゃべっているという感じ。体がきついのに気力で 持たせていらっしゃるのかと、胸がつまります。そして乙羽さんの命は この映画撮影後半年はもたなかったのです。それを知っていて、新藤監督は この映画を彼女の為に作ったのです。彼女はそれに答えて演技し、生をまっとうした。 そういう意味でも凄い作品であり、記念すべきものといえます。

 夏の山荘、蓼科は落葉松と白樺の録の中でむせかえるよう。著名な女優の杉村が この山小屋を管理する近在の農婦乙羽の出迎えを受けて避暑にやってきた。この山荘が 大女優の別荘としてはちゃちなのが笑える。管理などしてもらわなくもいいのではと 思われる小さなもの。台所も一昔前のものだし、ペランダに向かった居間の障子は美しいが 他の家具などはそこらへんのものだ。このセットは新藤監督の別荘がそのまま 使われたのでこうなったのでしょうが、これだけが『八月の鯨』と違って残念。 やはりインテリアに少しは凝って欲しかった!! そしたら、もっと、全体的に お酒落になったかも。突然あらわれた凶悪犯にばばあ、といわれて「そんなにババア、 ババアいわないでよ」と杉村が言い、それに答えて「だって、どうみたってバパアだろ」 と言う。大笑い。杉村さんだから余計に楽しい。杉村さんはなんと今年で84才、 輝いている老人そのものだ。

 痴呆症役の朝霧鏡子さんもなかなかよかった。むかしの大美人女優と比較するのは おこがましいが私の母が痴呆症になった時の姿かたちにそっくりで、行動の度に 母を思い出し、涙が溢れた。ただ、残念だったのは、意味ありげに娘の裸を挿入したり、 変な村の性的祭り(儀式)を入れたこと。映画の雰囲気をそこねている。

 乙羽さんが最後のシーンで石を捨てた時、又どっと涙が溢れた。




動くな、死ね、甦れ!
ラテンアメリカ 光と影の詩

世界の北端と南端の 母子家庭の少年たち

R. 佐藤

 最近観たこの二本の映画の印象が、あまりに強烈でしたのでご紹 介させていただきます。  『動くな、死ね、甦れ!』という過激な題名の映画は シペリアが舞台。監督・脚本のヴィタリー・カネフスキーはこの映画で54歳にして (旧ソ連国立映画学校をでたが無実の罪で投獄されるなど不遇な過去を持っていたため 53歳にして処女作品を完成)カンヌ映画祭で新人監督賞を受賞した。

 監督自らの子供時代を甦らせたというモノクロで描かれる第二次大戦直後の 極東ロシアの小さな炭坑町。日本人捕虜収容所と旧ソの強制収容所が併設されている。 主人公ワレルカは、粗末な長屋に母と二人で暮らしている。モノクロのせいでもあるが、 なにもなく、ただ荒涼として凍てついた風景は、それを見つめているだけで胸が痛くなる。 が、ワレルカは狭いところに収まりきれないエネルギーを持った少年。学校のトイレに イースト菌を入れて溢れさせ校庭を汚くしたり、市場で熱いお茶を捕虜の日本兵に売って 小遣い稼ぎをしたりする。ちょっとした悪戯のつもりが列車の転覆事件を引き起こし、 彼は町を逃げ出した。彼の母が離婚したのか夫と死別したのかわからないが、 母は売店の店員で売り上げを持って一人で夜道を歩くのは危険とワレルカを 迎えにこさせたりする。母は近所の男を部屋に入れ彼はそれをみている。

 『ラテンアメリカ光と影の詩』の主人公は アルゼンチンの南端、マゼラン海峡を望むフェゴ島ウスワイアの高校生。 風がゴウゴウと吹き、氷のような教室。窓から雪がはいり込み燃料のない部屋では、皆、 上着にマフラーをしている。ここでも、教師に魅力なく、彼の心はすさんでいる。 出ていった父、母は再婚し、新しい父には馴染もうとしない彼。彼は父の描いた絵本を 手に自転車で北へむかう。彼の心の旅を通してラテンアメリカの現状が描かれていく。 監督・脚本は祖国アルゼンチンの腐敗を激しく批判しつづけている フェルナンド・E・ソラナス。『タンゴ カルデルの亡命』の監督はこの映画では さらに鋭く南米の経済危機や政治腐敗を提示する。

 二本の映画は共に男性監督の作品。片親の少年たちの満たされぬ欲望や苛立ちは、 同じ家族構成の私の胸を打つ。我が子も年ごろの少年。子供たちは父のいない場所で どのように自分を保っていくのか。『大人はわかってくれない』といわれて、 自分のことだけでも精一杯なのに…とこの映画の母たちも思っているのではないか。

 この二本の映両の主眼はもっと別のところにあるのだが、こういう見方も含めて、 ぜひ観ていただきたい。観おわってしぱらくの間、自分の体の芯まで氷っている感じがする。

 『動くな…』には、哀切を帯ぴた「土佐の高知」や「五木の子守歌」などがBGMとして 使われており、登場する多くの日本兵の様子も興味深い。




ネル

宮崎暁美

 何もストーリーを知らずにこの映画を見にいった。冒頭、山道をバイクが走り、 山奥に分け入っていくところから、この景色、自然の素晴らしさに引き込まれ、 どんな物語が始まるのだろうとワクワクした。ヘンリー・ソローの「森の生活」 的な自然の中で生活している人を描いたものなのかと思った。

 森の奥の湖のそばの小屋で、いきなり死体発見の場面があり、面食らってしまったけど、 物語はJ・フォスター演じるネルの出現によって始まった。その小屋で世捨て人のように 暮らしていた母親によって育てられたネル、隔離された生活をしていたために 英語を話せず、奇妙な言葉を話した。これはネルを社会に適用させようと、 心の交流をはかる医師(リーアム・二ーソン)と、研究者(ナターシャ・リチャードソン) の物語だった。

 なんといっても自然の美しさ、朝夕の湖や木々の色の変化がすばらしかった。 そして、言葉が通じないための葛藤と、ネルを理解しようとする医師の心の動きが よく表現されていたと思う。そして彼のやり方を理解しようとする研究者との協力。 こんなにスムーズには物事が運ばれることは少ないだろうけど、人間、 言葉は通じなくても理解しあえるということを示した映画だと思う。




GO fish

宮崎暁美

 前号の“とーく”の時は見ていなかった 『GO fish』。あの時は、そうなのとしか言えなかったけど、この作品を見て私は 二人とは違う印象を受けた。さりげないレズビアンの日常を描いた作品で、 こういうのが一般公開されるようになったということに、まず大きな変化を感じた。

 ポルノ映画からのイメージで、彼女たちを特別な人と思っている人が多い現状に 一石を投じた作品だと思う。レズビアンの人たちは特別な人ではなくごく普通の生活を していることが、さりげなく描かれていた。レズビアンには男役、女役があるんだと 信じて疑わない人もいるけど(信じられない!)、そういうことを越えた人間関係の上に 成り立つ女どうしの愛情もあるのだということも描いていたと思う。

 ほのぼのとした恋の鞘当てゲームだけでなく、シリアスに男と関係した人を 糾弾するシーンも出てきた。実際、こういうことはあるのだろうか?  女同士の関係しか認めないということなのだろうか?  もし、そうだとしたら「男と女のカップルだけが良くて他は認めない」 というまだまだある、この世の常識の裏返しにしかすぎないような気もするんだけど。

 今回の『ラブレター』でも 意見がわかれたように、作品に対する好き嫌いはあってもしょうがないけど、 これだけはぜひ認識してほしい。「レズ」という言葉を使わないこと。 ポルノ映画で使われてきて、レズビアンの人たちを落としめてきた言葉だから。 彼女たちはとてもこの言葉を嫌っている。

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