女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
29号 (May 1994)   pp. 73 -- 74

女たちの映画評

ジョイ・ラック・クラブ/中国系移民の母と娘たち R. 佐藤
ジョイ・ラック・クラブ/重いふとんのある風景 Y. 小橋

ジョイ・ラック・クラブ
中国系移民の母と娘たち

R. 佐藤

JOY(喜ぴ)とLUCK(運)を共にという願いのこもった麻雀クラブを開いた四人 (雀卓を囲む)の中国系移民の女たち。

この四人は、中国で生まれ移民としてアメリカに渡ってきた。 そしてその娘たちはアメリカで生まれアメリカ的価値観を身につけて育った。 同じ国で生まれ育っていても母と娘のジェネレーション・ギャップは大きいのだから この母と娘の葛藤は私たちの想像を越えるものだ。 この母世代の女たちは苦労をしてはいるが、いわゆる中国では上流階級の出身。 自分が果たせなかった夢を娘にと猛烈な教育ママぶりを発揮する。

お互いの娘を張り合う様や、チェスの子供選手権で優勝し、 娘の写真が雑誌の表紙に載ると町中その雑誌を持って見せびらかして歩くという ユーモア溢れるエピソード等が一杯。天才にはならなかったけど、 成長しそれぞれの結婚相手を見つけて幸せになっていこうとする娘の相手をけなしたり、 自分の生き方を伝授することで娘をすくったりと四人の母娘はそれなりに密着し続ける。 異文化圏で助け合って生きぬいてきたその家族たちの結びつきの深さが ひしひしと伝わってくる。映画は、母の母たちを述懐するということで 旧中国の女たちの生き様をも映し出す。祖母と母、その母と娘、そしてそれが四組あり、 ×2だから八つのエピソードが交ざり合う。私は、この映画をたまたま 三人の女友達と観る機会を持ったのであれはだれだっけ、エエ?あの娘があの人の娘だっけ? 等々エピソードの整理ができたけど、さらっとそれも一人で観ると混乱を招き ストレスが生じるかもしれない。一緒に観た友が本なら振り返って読めるけど 映画はあかんものねーと言っていたが、これだけ多くのドラマを詰め込むんだったら、 もう少し時間も長くして、もっとスケールの大きい物、たとえば 『ドクトル・ジバゴ』とか『ラスト・エンペラー』のような映画にした方が よかったのではないだろうか。

エピソードの中では、社長夫人になった娘がケチな夫となんでもかんでも割勘にしているという話や、 アメリカ人の夫に中国式マナーを教えこむのにそれがことごとく裏目に出て ひんしゅくを買うという話が笑えた。母と娘の会話は万国共通で、 映画を観る人はそれぞれのエピソードに自分たちの姿を照らして 笑ったり泣いたりできそうな映画ではある。

などと、奥歯にものがはさまったような評を書いてる私ですが、 実はこの映画、我が家の前のホールで近くの専門店街が主催して試写会をしたのに 応募して、券を二枚手に入れ、ここに住む読書会仲間を誘ってただで観たので、 あまりピンとこなくても思い出に残りそうな映画なのです。それに、 入場者五百人の中から、抽選で五千円の商品券が十人にあたったのですが、な、 なんと私がそれにあたってしまい、帰りのコーヒーとケーキもその券でおごれたというニ ュースも くっついたのです。ま、そんなわけで『ジョイ・ラック・クラブ』 は私にとって付随条件がラッキーな映画でした。



ジョイ・ラック・クラブ
重いふとんのある風景

Y. 小橋

平均余命の半分を過ぎたせいか、はたまた子供にもさほど手がかからなくなり精神的、 時間的に余裕のでてきたせいか、近頃やたらと小さかった時や若い時分のことを思い出す。 ふっと気がついてみるとその頃の風景や風の鳴らす樹のざわめきの音を聞いていて 苦笑することがままある。あの頃は、こんな事があるだろうなどということは どこを探しても、頭の片すみにもなかった。ただ、今日の遊び疲れと 明日の楽しみだけがぎっしり詰まっていた。今日起こったくやしさや怒りや悲しみは 寝ているうちにすっかりふとんの中に吸い込まれていた。だから、 子供の頃のふとんは、妙に重く胸にのしかかってたびたび悪夢を運んできて、 汗びっしょりのそれは、ますます重みを増すのである。

そうしてまた少し経つと、今の私をなつかしむもっと老いた自分がいるのだろう。

映画『ジョイ・ラック・クラブ』はそこを描いている。が、劇的な時代の流れや 政変といった大きな波に呑み込まれ、異境に渡った世代の"辛い体験談"なのだが、 戦争のさなかではどのような悲惨なことさえも起こりうるだろうことは、 想像にかたくないし、その事柄にさして新鮮味はない。かといって構成の妙も感じられず、 カメラ・ワークも平凡である。そして意地の悪い見方をすれば制作者側の お涙頂戴式の安易な意図さえ感じられる。この中では親娘それぞれ四組の話、 つまり八人の話が均等に描かれているために軸になるはずの親娘が浮かび上がってこない。 最後までエピソードともども全体が平坦な仕上がりになってしまい、盛り上がりに欠ける。

鏡の中の自分を見るような母親と娘の関係において、まさに美容院の鏡に写るお互いを見ながら 心情を吐露する一組の親娘のシーンは象徴的である。 "女"に深く関わっている話を誰かにするとしたらやはりそれは女に、 できることなら娘へとなるのはごく自然な成行であるといえる。

歴史的な激動の中でなくとも、それぞれが身をよじってきた悲しみや苦しみを持っている。 それをいつか誰かに話すことがあるのか。 ただ同世代の人というのでは、深い同感は得られるかもしれないが、 単なる思い出話に終わってしまいそうで、これでは縁側のお茶飲み、 猫のひなたぼっこ風景が浮かんでくるだけである。

苦労、苦しみ、悲しみ、喜びなどというものは非常に個人的なものであって、 誰の、何がということを比較することはもちろんできない。 その人の記憶の中にだけ整然と存在し、長い時間の中で形を変えて生き続ける。 時には重くのしかかり、時には暖かく包まれている。息苦しさにはね除ける。 まるで、子供の頃のふとんのようなものではないか。たまには外に出し、 陽に当てる必要だってあるのである。軽くなるように。

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