女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
26号 (1993.08)   pp. 42 -- 43

私の好きなTVシリーズその(2)

E. 出海

『いつか好きだと言って』『振リ向けば奴がいる』『高校教師』
三月に終ったドラマシリーズの中で注目していたのはこの三つ。

いつか好きだと言って』 はモッ君と竹中直人の息の合った掛け合いが 『シコふんじゃった』を髣髴とさせて、ついつい見てしまった。 それに鶴見辰吾さんが妙にセクシーだったこと。 オモチャ会社のサクセスストーリーはアメリカ映画にいくつかあって、めずらしくないけど、 スタッフが魅力的でついチャンネルを合わせてしまったシリーズ。 三作品の中でラストが唯一ハッピーエンドであった。


高校教師』は、 とても印象に残るドラマだった。日本テレビのEXテレビで、 このシリーズについて二週間に渡りトークしていたのを見たが、少しがっかりした。 トーク出演者たち(山城新吾、井筒監督、上岡龍太郎、予備校講師?…) は一様にこのドラマは色々なことが起こりすぎ、現代の高校生活を誇張し、 ショッキングなことをもり込みすぎた…、でも極端だから見ている人たちは面白く、 視聴率が高かったのだというようなことをくりかえし述べていた。

そうだろうか。ここに描かれた話は誇張だろうか? 本当だからこそ、 身近にあることばかりだからこそ、小学生から年配者まで引き込まれたのだと思う。 私の姪は通う女子校でこの話と全く同じ恋愛が進行中の友達がいて相談相手になっている。 「オバチャン、本当なんだよ、この前堕ろしてきたんだよ」と話していた。 このドラマは本当によく現実をリサーチしていて、女子校生の気持ちと、 その高校生たちを好きになる男の気持ちがせつないくらい克明に描かれている。 私がこのドラマを好きになったのはその点だ。 女子高生をオジサン的視点で見ればEXテレビの出演者たちのようなピント外れの感想となる (中で唯一ドラマを弁護していた京本政樹の意見が妥当と思う)。

女子高生を興味本位でなく本当に好きになった男性の目から純粋に描いているところに 視聴者はグイグイ魅かれる。京本政樹がラスト近くで、高校生との恋愛事件について 『今、女性は強くなって、この娘(高校生)にしか心を許せない。 今、本来の意味で恋愛するとしたら彼女たちしかいない』と泣くところがあったが 「そうなのか…」と説得力があった。男たちも苦しいのか…と。

この作品からはさんざんオジサンたちによって言い古されてきた性的対象だけのセーラー服でなく、 中身のあるセーラー服が出現する。

ラストがまた不思議。どうなったのかわからないのだ。 東京を離れた先生と女子高生が手の指を赤い糸で結んだまま、列車の座席で寝ている(死んでいる?)。 これがラストショット。いつ女子高生がこの列車に乗ったのか…、死んでいるとしたら、 いつ薬を飲んだのか…、録画しておいた最終回のビデオを何度もかけ直して見た。 女子高生が先生に菓子のようなものをあげているので、それが毒かと思ったら、 シナリオで確認するとクッキーだった。私は先生が手紙を読むところから妄想の世界となり、 そこから以後途中下車して海を見るところも、二人でお弁当を食べるところも 全部先生が愛する彼女と現実にこうして一緒に死ねたらいいなァ…。 という願望の映像化で現実はたった一人の行為だったんだと思ったりしたが、 各駅に回った手配書は二人だったし、客観描写がそうなってることは私の仮説はくずれる。

とにかく最終日の翌朝もその夜も子供たちと、あーだ、こーだと話し合った。 ドラマ好きの次男が出した結論。とにかく二人は誰も知らない土地へ行って、 二人でゆっくり暮らすのだと。そういうことです。


振り向けば奴がいる
オープニングはチャゲ&飛鳥の「YAH YAH YAH」の曲に乗って二人の男が走る。 一人は黒いコート、一人は白い服…。 同じ大学病院で働く二人の医者はライバルであり、いつも意見が対立。 一方は善でありヒューマニスト、一方は悪でありエゴイスト。 この映像がすごくいい。ええ・・いと見入ってしまう。 このはっきりした図式の中に医療の腐敗やリビングウィル(尊厳死)など、 社会的問題をちりばめて話が進む。 なんといっても織田裕二演じる悪に撤する柴先生がいい。 石黒賢演じる良い先生の典型である石川先生の正論が偽善に見えてくるところがおかしい。

医療器納入会社に公然とリベートを要求する柴先生。女への態度も傲慢で超冷たい。 論理観より自分本位、誰からもその強烈な個性が嫌われるが手術の技術だけは天才的。 そこがスゴク男っぽい。彼の性格づけの根拠がこの「YAH YAH YAH」の唄にある。 つまり傷つけられたら刃を向け、自分を失わないために。また「殴りに行こうか」 などぶっそうな歌詞部分もある。柴先生がこんな風になったのは、 信頼していた先生が手術ミスで患者を死なせ、その罪を柴が肩代わりした学生時代だった。 その中川先生は今も大学病院の信頼厚い外科部長。 柴はその先生の下ですべての手術を先生に代わってやっている…。

体育系男性社会だが医師であるところがバカッぽさをカバーしてくれる。 しかし、これはひと昔前の正しく東映ヤクザ映画の様式美を思い出させる。 二人の青年医師のまわりに看護婦や女医など女性がウロウロいるにはいるが、 どの女性ともストイックで油くさくない。織田裕二のあのギラギラした目と、 くいつきそうな大きな唇も『培せん』ピールのCFではイヤミだが、 このドラマの中では精桿ですっごく格好いい。

ステキと見入る自分の中にふっと、若きヤクザだった日活時代の渡哲也を思い重ねる。 これは正しく男のドラマだ。オープニングとエンディングに流れる「YAH YAH YAH」 は平成版『昭和残侠伝』として、高倉健の男の花道とだぶったりする。

どうして日本映画にはこういういい男のドラマが再生しないのだろう。 テレビのドラマのほうが今は俄然面白い。登場人物が映画に比べ数倍考えぬかれ、 見る者たちにアピールしてくる。 このドラマのラストも『高校教師』と同じで、主人公たちは死ぬことになるが、 暖味さもないではない。私は残念だけど、柴先生は死んでしまったぁ…と泣いたが、 やはりこのドラマの熱烈なファンである次男は、 刺されたけどすぐ病院に運ばれて死んでないと言い張る。 どっちでもいいが、もう一度柴先生のワルを見たい。 ぜひ坂本順治監督に『振り向けば奴がいる』の映画を撮って欲しい。 あたると思います。

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