女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
24号 (January 1993)   pp. 22 -- 23

『きらきらひかる』

B. 小原

本誌22号の「気になるあの人」 で特集された豊川悦司さんが『12人の優しい日本人』 の次に出演する作品と聞いて、公開前に興味を持った。 豊川さんは薬師丸ひろ子ちゃんの夫で(一気に主役ではないか!)、しかもゲイの役とか。 えっ、おもしろそう。原作もあるの?…というわけで、 私は早速書店で見かけた江國香織さんの「きらきらひかる」を買ったのだった。

主人公は、情緒不安定でアルコール依存ぎみの妻と同性愛者の夫という夫婦、 自称《臑に傷持つ者同士》だ。この二人が互いに1章ずつ交代で一人称で語っていく。 「結婚でもすれば落ち着きますよ」と精神科医に言われた笑子と、 大病院の勤務医という信用商売(?)の睦月。 互いに母親に無理に薦められた見合いで出会った二人が、 互いの《傷》を承知で新婚生活を始める。互いの両親には《傷》のことを隠して。

しかし《傷》といっても、同性愛というのは世間的に市民権がないことが苦痛であるが、 別に同性愛でなくても独身者は大勢いることだし(母親は世間体を気にするが)、 睦月自身は心を痛めているわけではない。そういう意味では睦月は笑子と違って健康だ。

笑子は感情の波が激しい。言い換えれば躁鬱の波が激しいのだ。 欝になって爆発すると、大声で泣くか手当たり次第に物を投げ付ける。 ヘンな奴、というつもりは私にはまったくない。 それどころか私自身も鬱状態の苦しさがよくわかる。 結婚前の笑子の暮らしはほとんど書かれていないので、 どのくらいの頻度で爆発していたのかはわからないが、 結婚後も彼女はたびたび爆発してしまう。

驚くことに普通の人だったらそういう彼女に閉口するはずだが、 血縁でもない、見合いで結婚したばかりの赤の他人である夫の睦月は 笑子が落ち着きを取り戻すのを辛抱強く待つことができる人なのだ。 「奥さんが物を投げ付けても見捨てずに、心配してくれる人なの。 そのうえ家事もできるダンナさんなんだよ」。友達に説明したら、 「いいねえ、でもそんなダンナ現実にいるわけないよ」と言った。 でも「いたらいいなあ」と私は思った。 実際読んでいて笑子がうらやましくて私は何度も泣きたいほどせつなかった。

さらに。昔は《結婚は三食昼寝付の永久就職》と形容されることがあったが、 現代では物価高のせいで、女性は結婚後も出産までは外で働き続けざるを得ない。 私の周囲のヤングミセスたちも正社員とかパートの差こそあれ、皆例外ではない。 それなのに、この笑子はほとんど睦月に養ってもらっているのだ。 正確には笑子自身は家でイタリア語の翻訳のアルバイトをしている (彼女の精神状態では会社勤めはできっこない)。 でもたぶん家計の足しに、というわけではないだろう。 なんといっても睦月は医者だからね…。

家事が得意で、30歳そこそこで妻を養える収入があって、 しかも妻の情緒不安定をいたわってくれる。なんて理想的な夫! たぶんすべての女性にとって。なんだか《逆関白宣言》のようだ。 (現実にも三高やらなにやら、女性がああだこうだ言っているけど、 それともまた少し違うような。三高は外見的な条件だもんね)。 でもいずれにしても今までは男性側がいろいろ言いたい放題言ってたんだから、 今度は女性が言ったっていいんじゃないの?

もちろん、わがままな私にとっても、収入や家事は置いといても、睦月は理想の夫だ。 こんなやさしい人がいたらいいなあ。だって笑子は妻といっても赤の他人。 恋愛結婚したわけじゃないし、睦月自身には紺という恋人がいるのに、 睦月は紺への愛情とは別の愛情を笑子に対して持っている。 自分の弱さをさらけ出せる相手がいるって、とてもうらやましいことだ。 物を投げ付けるなんて、誰に対してもできる行為ではないと思う。 笑子は無防備な幼児のように安心して睦月の前に弱さをさらけ出している。 なぜなら睦月が彼女を受け止めてくれるからだ。

…というわけで、公開の2ヵ月以上前から映画『きらきらひかる』 を私は楽しみにしていた。 薬師丸さんの映画はほとんど見てないけど、歌手としては透明感があって好きなので、 その彼女が笑子をどう見せてくれるか興味が湧いた。松岡錠司監督について、 ほとんど知らなかったので、とりあえず『バタアシ金魚』 のビデオを借りて見た (高岡早紀が可愛かった。ロケ地・千葉のモノレールに乗ってみたいと思った)。 それになんといっても私もイマジカで豊川悦司さんの実物を目撃した一員なので、 睦月を演じてくれるなんてとてもうれしかった。

でも結果として映画は私の「きらきらひかる」とは少なからず違っていた。 というか、わがままな私の思い入れが強すぎる睦月とは違った。 映画の睦月には少し冷たい印象が残った。 原作の睦月みたいにどこまでもやさしくはない。 時にはムッとしたり、怒るときには怒る。 あくまで普通の若い男性の感覚だ。それを象徴するのが、原作にはない次の台詞だ。 「保護者になるためにどこのどいつがダンナになるんだ。そんなお人よしじゃないよ」。 その台詞を聞いて、あれ?原作の睦月はまるで笑子の保護者なのに、と思った。 そう、原作の睦月は笑子にとってセックスぬきの夫であると同時に、保護者でもあるのだ。

しかし、一般男性の目から見ればいくら同性愛者といっても、 まるで笑子の保護者のような原作の睦月には疑問が湧くのかもしれない。 彼は男性から見るとつかみどころがないのだそうだ。 豊川さんも何かのインタビューでそう言っている。 「(同性愛者の)睦月と結婚するなんて、まるで水を抱くようなものだろう」 と笑子に同情する睦月の父の言葉が映画でも使われている。つかめない水。 でも水を抱くことができなくても、水に包まれていれば、 水に浮かんでいれば??言い換えれば、睦月に心が寄り添えていれば しあわせなんだよ。少なくとも私にとっての睦月は。

映画を見終えた直後は、私のイメージしていた睦月と違うことが寂しかったけれど、 男の人の睦月観とわがまま女の私の睦月観が違うから仕方ないことだと思う。 松岡錠司の『きらきらひかる』として見れば成功したのではないだろうか。

余談だが、この作品を見た翌日、会社でふとしたきっかけで落ち込んでいった私は、 もう少しで笑子のようにバクハツしそうになった。「笑子になってやるー!」 とほとんど思いかけたのだが、 一歩寸前で私には睦月さんのような人がいないんだということに気づいて踏みとどまったのでありました。

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