女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
19号 (1991.06--08)  pp. 18 -- 19

映画館百景 その5 / 飯田橋 ギンレイホール



「じゃあ三時四〇分ごろ来て下さい」

飯田橋ギンレイホール社長の鈴木さんは電話口でそういった。 三時四〇分とは半端な、と思いつつ手元の情報誌のタイムテーブルをみてなるほどと納得する。ちょうど一時三〇分の回が終わる時刻なのだ。そんなふうにして飯田橋にギンレイホールを訪ねたのは、六月一日の「映画の日」のことだった。

どうせ行くのならと、ちょうどかかっている『ニキータ』を看る。初見だったので感慨もひとしおにロビーにでると入替えの人が引くのをまった。

次の回が始まってだいたい三〇分の間のこと。従業員の人たちはもくもくと掃除をする。灰皿にたまったゴミを捨て、おもての通りをきれいに掃き、ロビー床にモップをかけ、地下のトイレの掃除をする。丁度、アキ・カウリスマキの映画に登場する労働する人々をほうふつとさせるような入念な単調さとでもいうのだろうか。

ここの映画館のトイレの清潔さにはいつも感心していた。銀座や渋谷あたりの映画館のおしゃれな内装のトイレには時として掃除のゆきとどいていない所があって不愉快になることがあるが、ここに限らず心ある名画座には感動するほどきれいなトイレがあるものだ。

(鈴木)「でも最近の女の人はトイレなん かも汚くつかうんですよ。口のきき方もずいぶんぞんざいなのがいたりしてね」

劇場は狭いからと近くの喫茶店に移った鈴木さんの口からはなかなか辛辣なご意見が飛び出す。

(鈴木)「くわえ煙草で歩いたり、男の悪いところを真似してる感じだね」


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(鈴木)「うちは古いから、掃除ぐらいや らないとね。毎回毎回やってますよ。いいことはね、忘れ物がすぐ見つかる。毎回みてるわけだからたいてい出てきますよ。
ただ、劇場の一番の難点は入口が狭い。入口だけ見るとみんな五〇席くらいしかないと思ってる。中に入ってみて意外に広いなんて驚いてる。昔の建物だからね、以前は三〇〇席ぐらいあったけれど、今は後ろの座席を取ったりして、それでも二〇〇以上はある。ロビーも狭いしね。とても二〇〇以上あるようには見えないね。だからたいていはゆったり見られますよ。
それに、うちはスロープがあるから見やすい。一番したは地下になりますからね。女の人なんかでも前の人がじゃまになることがないですよ」

入口やロビーが狭かったリと、みてくれに関しては確かに問題があるけれど、ここギンレイホールは映画を観るということに関しては賛沢なつくりといえそうだ。床に塵ひとつ落ちていないような清潔さは、鈴木さんの頑固な性格をそのまま表しているようだ。以下は自称なまけもので脱サラをして成り行きでギンレイホールの社長をやっているという鈴木さんの最近の若者観、映画観である。

(鈴木)「客層はやはり女性が多いですね。まあそういう傾向のものをやっているせいでしょうけど。学生ですか?少ないですよ。法政とかもよそに校舎が移ったりして、学生自体減ったっていうこともあるんだろうけどね、今は映画そのものよりも、ほかの娯楽が一杯あるからね。ただみんな本当に好きで、おもしろくてやってるのかっていうとなんか関係ないんじゃないかって気もするけどね」

たしかにかつて名画座といえば学生の場所だった。その名画座に学生が来なくなったのはつい最近のことだ。それはちょうどこの飯田橋から佳作座が消えた頃と重なる。

(鈴木)「うちで学生のアルバイトやとったって、ビデオはみてるけど、今まで一度も映画館で映画を見たことがなかったりする。それがうちにきてすっかり映画通になったりして。最近やっぱり地方に映画館がないからね。まあ遠くに行けばあるんだけど」

(鈴木)「東京は映画館が多いね。人も多いけど。でも本当の東京の人ってのは少ないんだ。なんでも東京にある。だからみんな集まっちゃう。ちょっと異常だね。まあそれだけ映画見にくる人も多いってことで、だからうちなんかもやってける。ちょっと矛盾してるけど。
でも何だかんだ言って、結局同じことしてんじゃないの、みんな。なんかひねくれてる奴がいないな、あまのじゃくっていうか、おれは違うよっていう奴がね。みんな右ならえしてやるようになったね、日本人て」

(鈴木)「映画は特別ファンていうわけじゃなかった。そりゃあ好きですよ。だって映画きらいだって人はいないでしょ。ぼくらの頃はね、見にいくでしょ、するといいとか悪いとか、次の日にでも多少話しますよ。あれ見とけよ、とかね。そういうのはもう夢中でみたね、若いころ。そういう会話があった。新聞とか雑誌とかとは違う伝達方法があったんだね。
今はそうじゃない。なんかわけのわかんない誰かがでてきていいとかいってる。みんなそれをきいて、見なきゃいけない、話題についていけないってね。おもしろいんだかなんて関係ないみたいだね」

「映画のサイクルも早いね。早すぎて忘れちゃうんだよね。ロードショーでいい映画でも入ってなかったりする。かと思うと『ゴースト』なんて今だにやっている。客をよべる映画がないんだ。結局うちらでやるころには、もういいやってことになっちゃう。今、二番館っていうのはよほど特色をだしてやらないと難しいね」

「お客さんもどうでもいい映画は見ない。ロードショーでもみない。昔はどんな映画でもある程度入ったけどね。
希望としてはね、六〇代になって定年になってやることがないっていう時にね、やっぱり家でテレビだけ見るんじゃなくてね、映画館にきてほしいね。最近多少年配の人が増えたね。若者は減ったけど」


(取材・大牟礼)

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