女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
15号 (1990.06)  p. 53

水木洋子さんのことなど

『今井正全仕事』(仮称)
本造りの経過報告

R. 佐藤

私はシネマジャーナルの編集を少し休ませてもらって、昨年の夏頃から、 今井監督のすべてがわかる本を造る作業を続けてきました。 なぜ、今、今井正なの?といわれると困ってしまうのですが、 私の青春と今井監督の映画とがだぶっているということ。 彼が映画の中から私たちの胸に向けて語りかけてくれた、 人間を観る目の優しさがたまらなく好きだったことがこの本を造る大きな要素になっていることは、 確かです。私たちの世代は、監督の映画にいつもいつも勇気づけられてきました。 では、今を生きる私の子供たちは、どんな本や映画で勇気づけられているのでしょう。 今、青春真直中の私の二人の子供にこの本を読んでもらえたら、そんな思いも込めて、 私の作業は続いているのです。 …ところで私は、本を造る過程で、たくさんの方にお目にかかったのですが、その中に、 今井監督作品に大きく貢献したシナリオライターの水木さんもいました。

水木さんは、大正の初めに、東京の下町の商家に生まれました。 今井監督とは一歳違い。家には女中さんや使用人がいて、いわゆるお嬢様だったのに、 大学に行きたいといったら、 家事がすべてできなくては行かしてやれぬと母親にきびしくしつけられたので、 台所仕事やお針などなんでもできるとか。 私たちはいつも、水木さんを(彼女の家のある千葉の八幡の)駅の構内にある喫茶店に呼び出して (彼女は家の整理ができていないから、家に呼べないというのが口ぐせ)お話を伺ったのですが、 そのおしゃべりはとどまることをしらず、 会うたんびに五〜六時間も喫茶店でねばってしまいます。 お歳ですので、同じ話が何度もでてくるのですが、それを引いてもたいへん面白い。 話がはずむと言葉の調子も「そんでよ」とか「そんでさ」とか 昔日のお嬢様らしからぬトーンに変わったりもなさいます。 だから今井監督との対談も、まるで、おふたりで漫才をしてるみたい。 (テープ起こしが未熟でなかなかその雰囲気が出せていないのですけど) 司会のために昔、彼女が対談したり、書いたりなさった文のコピーを片手に こういうことをおっしやっていますが…というと 「いつ、そんなこといったの。そんなこと言った覚えないわよ」 どれ見せて、と胸にぶらさげた虫眼鏡でその文字を追い 「あら、私、こんな人と会ったことなんてないわよー」 「これなんていう雑誌? あら、こんなこと私書いた覚えないわよ」 「誰かが勝手に書いたのよ」などと古いコピーはことごとく否定され、居合わせた人々は大爆笑。 彼女はもちろんおこりません。ケロケロと笑ってあなたたちって明るいのね、ですって。 ききづらかった谷口千吉監督との結婚生活のことも、 変なラブレター作戦にひっかかってねなどとこと細かに教えてくれ、 本当に可愛いおばあちゃまといった風。 こんなユーモラスで庶民的な方があの名作『キクとイサム』や『ひめゆりの塔』『浮雲』 を書いたなんて信じられないと申しあげると、 あら、わたし本当はロシア語を勉強したかったのよ、ですって。 慈善家ぶる人や権威をかさにきてえばる人は、大嫌いとおっしゃる。 戦前、原泉たちと築地小劇場で女優として舞台に立っていたというお話も楽しかった。

本の中の監督との対談者は、水木さんの他、住井すえ、湯川れい子さん、 この本は七月に発刊予定です。宜しく…





(2003.12.27)
この本は1990年、「今井正全仕事(スクリーンのある人生)」(映画の本工房ありす編集・ACT) として出版されました。
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