女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
14号 (1990.04)  p.27
『セックスと嘘とビデオテープ』記事一覧

『セックスと嘘とビデオテープ』

閉じられたアメリカのナイーブな悩み

O. 亮子

潔癖症で少女趣味の美しい妻を持つジョンが「結婚指輪」の外でセックスを楽しむ相手、 シンシアにとって自分のことを攻撃的と評する姉の夫との関係は、 姉(あるいは母)に対する苛立ちのはけ口で、姉の存在なくしてはありえない。

夫に別段不満もなく、家をピカピカに掃除することが仕事のアンは、 区切りをつけるためにこの町に戻ってきたという風変わりな、 夫の大学時代の友人グレアムとセックスについての会話を繰り返す。

セックスと嘘とビデオテープについて、ただひたすら語られるイメージは、 四人の登場人物のそれぞれの言い分と同じく、アメリカのどこにでもある、 どこでもないようなこざっぱりとした町、 という閉じた空間の中をとりとめなく回り続けるのではないかとすら思われる。

ナイーブな都市生活者たちは、ガラスの仕切りの内にいて、 地味に個人へと閉じられてゆく。 “悩み”は解決されることを求められず、深層心理に付着し、 誰もが病んだ者として危うい均衡を保ちながら関わり合う。

グレアムの、他人と関わらずに生きてゆきたいという希望と同じく、 奥行きの無いカメラはセックスに決して立ち入ろうとしない。

グレアムが、ビデオを見てマスターベーションするのだが、 裸で毛布にくるまって悲しげな顔をしているだけにしか見えない。 アンとグレアムのラブシーンにしても観客にはなにも見せようとはしないし、 想像力をかきたてる高揚感も伝わってこない。

映画的な高まりは、例えば言葉もなく見つめ合うだけの二人を映すだけで、 密度の濃い空気を醸し出し、見るものを熱くする瞬間であったりするのだが…

他人のセックスを見るなんて悪趣味ですよと言われてしまえば 「そうかもしれませんね」としかいいようがない。 傷つきやすい人というのは、どうも苦手な人種だ。

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