女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
14号 (1990.04)  pp. 23 -- 24
『セックスと嘘とビデオテープ』記事一覧

『セックスと嘘とビデオテープ』

フィルム(映画)とビデオテープの違い

岩野 素子

なぜ、私達は同じ映像には違いないのに、ビデオテープではなく、映画(フィルム)に、 こんなにも心ひかれてしまうのだろう。ビデオテープは電気信号とか、 何か機械という気がしてしまうが、フィルムは生で、光に感応する。 フィルムが光に感応したように、観客は暗闇の中の銀の幕に映し出された光に 感応したいと思い、映画館に出かけて行く。それは、具体的には、 映画を観ている間の時間を確かにその映画の中の人物達と共有したという実感、 疑似体験だ。

その手っ取り早い方法は、登場人物の誰かに思い入れすることだろう。 けれど、この『セックスと嘘とビデオテープ』の四人に関しては、 あまりにも類型的なので、行動や考えはナルホドと理解できても、 人間としての魅力にはつながっていかない。 話の先が全て見えてしまうから、思いがけない驚きによる興奮にもつながらない。 映像はきちんと美しく撮られているが、ただ単にそれだけのことだ。 男と女の気持ちの微妙な駆け引きに興奮できないのでは、 ラヴ・ストーリーは成り立たない。

グレアムとアンは、それぞれの孤独な殻を突き破ってお互いを見つけたはずなのに、 あのアンがグレアムのビデオの前で告白を始めてから グレアムがビデオのスイッチを切るところまでがクライマックス・シーンのはずなのに、 その時の二人の間に男と女のスリルとサスペンスは微塵もない。 室内の空気は、以前と変わらず稀薄なままで、濃密さを増すことがないから、 ラストの二人の姿を見ても感動につながっていかない。

二六歳のソダバーグ監督は、まだほんとうの恋愛を経験していないのじゃないかと 思ってしまう。どうにも止めようのない、人を好きになる気持ちを まだ知らないような気がする。

恐らく彼は正直で真面目で誠実な人間に違いない。それは、 このきちんとした画面の作りから十分に伝わってくる。 しかし、真面目で正直であることは映画にとっては大した意味を持たない。 なぜって密かに暗闇の中でしか見ることのできないものは、 いかがわしさと隣り合わせなのだから。 そんな映画の持つ妙な雰囲気を映画を観ている間に無意識に感じとってしまった時に、 訳も分らずに涙が流れてしまったりする。 そこが、ビデオテープと映画の違いだと思っている。

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