女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
12号 (1989.08)  pp. 24 -- 28, 32 -- 37

▼女たちの映画評



『ペレ』

準備中

『読書する女』

音楽・まる、衣装・まる、本の趣味・まる、さり気なく趣味の良い映画

準備中

『魔女の宅急便』

優しさに包まれたなら

出海

小四の娘は本が大好き。子供の頃、ませた大人向け雑誌ばかり読んでいた私は、 娘が学校や区の図書館から次々と少年少女小説を借りてきて勉強するのも食べるのも忘れて 部屋の隅で読み耽るのを、とっても頼もしく思ってきた。

ほとんどそのせいで、娘は先月から眼鏡をかけた。
「やだ、よく見えるゥ」と、ピアノの楽譜を見て叫んだのを聞いて、 親の私は今まで彼女の視界がいかにぼやけて焦点のないものであったかと始めて気がつき、 「ゴメンナサイ」と心の中でわびた。

この長女と小三の次男を連れて『となりのトトロ』へ行った時の子供たちの反応はスゴかった。 すぐに「トトロとトトロ……」を覚え、帰りの電車の中で歌いだし、 親が口をはさむ間もなく、二人が「あのさ、あの木はさ…」 「あのバアさんは本当はお化けでさ」 「違うよ。バ力だね、お化けなんていないのよ。皆な、あの子たちの想像なのよ」 「あの猫のバス。スゲェんだよな、足が何本もあって」 「ねェ、お母さん、ウチも田舎に家買おうよ」と……。

長女はどこで調べたのか、同じ宮崎監督が次に『魔女の宅急便』を撮ることを知っていて、 さっさと原作を買い込み、読み始めていた。 私は忙しくて原作を読めなかったが、少しだけ時聞があった土曜日、 それ行けとばかり二人を連れて歌舞伎町の映画館へ行った。

「立ち見席しかありません、しかも三十分は並んでいただきまーす」。 背広の東急社員らしき若い人たちが、拡声器を手に叫んでいた。 せっかちの私は、「またにしようよ。どうせ夏中やってんだから」と帰りかけたが、 子供たちは「立ち見でもいいじゃないの」と並ぶ覚悟で動かない。

「便所も行けないよ」
「こういう格好になったら、終わるまで同じ格好になるのよ」
と、色々脅したが、子供たちはびくともしない。

「夜は盆踊りもあるし…疲れたらマズイよ」「大丈夫」 何か楽しいことを期待して待っている子供の姿は、すごく感動的で、 私を優しい気分にしてくれるのだ。

「仕方ない。立ってでも見るか」それで並んで覚悟して立ち見客として入場したのだが、 神の手招きか、最前部のドアから飛び込んだら、何と幸せにも最前列に三つ 私たちを待っていたかのようにシートが並んで空いていたでないのォ。

その時の三人の喜びようは、はたで見たらエゴイズムの塊 〈身内さえよげれば〉の典型だったと思うけど、本当に嬉しかったァ。 ドテッと席に座り……ユーミンの「ルージュの伝言」が軽やかに流れる空を キキがホウキに乗って飛んでいくのを見て…幸せ感じちゃいました。

帰り、パン屋の店先のキキを描いた大きな看板がスゴク欲しくなり、 娘に「盗んでいこうか」と言ったら、
「パンフにあるよ。コピーで拡大して私が色を塗る」とたしなめられた。

〈元気が出る映画〉があるとしたら、正しくこれじゃないだろうか。 「自分で生活していくってどういうこと?」 十三歳のキキが体験する人生の一つ一つは、そのまま娘や息子が(私は半分体験ズミだもんね)体験し、 乗り越えなけれぱならないものだと思う。 頑張ろうね、皆な。 柄にもなく、子供たちを抱き締めたくなっちゃう気分で、帰宅した。


〈御報告〉

毎号『シネマジャーナル』をご愛読いただき、ありがとうございます。

私どもは、これまで隔月発行のぺースをなるべくこわさず、スタッフ一同話し合いを重ね、 よりよい映画状況を目指して、小誌作りに励んでまいりました。 しかし、発行二周年を迎え、もう一度『シネマジャーナル』を振り返った時、 果たして私たちでなければ作れない映画雑誌作りをしてきただろうか…。 内容的なものも含め、スタッフ一同がもう一度映画と自分の関係を見直し、 ワンステップさらにすすめた雑誌にするためにも、十一月末日発行分より 季刊にすることを検討しております。

つきましては、皆様方のご意見、ご批判をどしどし承り、今後の参考にさせて頂きたいと思います。

尚、定期購読の皆様方には、料金その他について、後日お知らせいたしますので、 よろしくお願い申しあげます。


*新刊紹介

『私の昭和映画史』

廣澤 榮著
——岩波新書——

『七人の侍』『サンダカン八番娼館・望郷』などたくさんのシナリオを書いてきた著者らしく 「くらがり??はじめに」の章から魅力的な書き出しで、 まるで映画を見ているような気持ちにさせられる。

「簡単にいえばテーマは戦争なんだ」と著者が言うように、映画の事は勿論、 この年代の人達がかいくぐってきた戦争の事までわかるようになっている。 貴重な戦後史ともいえる。

写真もたくさん入って楽しく、いっきに読みおえた。

手 弱 女


p.32 --

『インディー・ジョーンズ』—最後の聖戦—

T. 佐藤

私の永遠の恋人“インディー”ことハリソン・フォード再来です。 二作目『魔宮の伝説』はいかにも子供うけを狙って作ったという感じだったのですが、 三作目のこの『最後の聖戦』は、 一作目『失われたアーク』の時の卒倒しそうなまでの新鮮な感動には少々劣るけど 二作目よりはずーっと大人向けにつくられていて、最高に楽しめました。

アクションはもちろん、相変わらずのインディーのたくましさにもうっとり。 それからインディーと父規ヘンリー(ショーン・コネリー)とのやりとりもウケましたね。 インディーとは正反対の性格のヘンリー(同じ考古学者)は、 多くのオチャメな仕草や失敗を披露してくれました。 インディーが必死で闘っているのにその横に座って涼しげな顔をしていたり、 空中戦で、敵ではなく自分たちの飛行機の羽根を撃ってしまったり…笑える!! オープニングのインディーの少年時代の役を演じたフェニックス君もスタントアクションを自らこなし、 大奮闘しています。マドンナは一作目は強い女、二作目はかわいい女、三作目は悪女といった感じで、 一作目のようなうっとりするようなラブシーンは全くなく、妙にストレートでスピーディーであった。 最後にインディーとヘンリーは聖杯の水をのんだのだ…ということは、 二人とも不死になっちゃったワケ? 若がえっちゃうワケ? そういうことですよねー。 ウーンと悩む私。

それはさておき、これが最終作というのは、誠に残念無念。 でもルーカスは“ネヴァー、セイ、ネヴァー”(絶対にやらないとは言わない)といっているから、 もしかして…ということもありえるかもしれませんね。

熱烈なインディーファンとしては、やっばり四作目に期待してしまいます。



『ジヤック・ジョンソン』 Jack Johnson

ボクサーは時代を語る

地畑 寧子

ボクシングは、死期を早める。一部の医師たちはボクシングの野蛮性を唱え、撤廃を求めている。 確かに劇画の「あしたのジョー」の主人公矢吹丈にみられるようなパンチドランカー (末梢神経が麻痺して服のボタンをかけられなくなったり、 平衡感覚が鈍くなり無意識のうちにまっすぐ歩けなくなる等の症状) になるボクサーは少なくない。

しかし、ボクシングに人々は狂喜する。大がかりなイベントが繰り広げられる。 人間がまだ武器を持たなかった原初的な戦いをボクシングにみるためかもしれない。 人を傷つけ戦うことは、悪に等しいが、戦うことで人間は自然界に君臨してきた。 そのリアルな姿に引き込まれるからだろう。

ジャック・ジョンソンは20世紀前半に生きたボクサーである。 カシアス・クレイ(モハメッド・アリ)にもまさるとも劣らない放言と派手な生活、女性遍歴。 しかし、勝者に与えられるべき豪著な生活とわがままを時代が許さなかった。 強けれぱ強いほど我が身を苦境に追い込まなくてはならなかった彼は、 現代では考えられないほどの悲運の持ち主だったといえるだろう。 白人の妻を持つことと白人のボクサーに勝つことが罪となる。 人種差別攻撃の格好の的となる。

このドキュメンタリーフィルムの一枚一枚のスチール写真は古ぼけているが、 説得力のあるナレーションとマイルス・デービスのソウルフルなトランペットは ジョンソンをみごとに甦らせてくれた。

“I AM JACK JOHNSON. I,M BLACK!
黒人で結構じゃないか。俺は歴史に名前を残してやる”

黒人であること、超一級のボクサーであることが 時代の異端児扱いされる彼の誇りだったのだろう。

この簡単だが強烈な居直った彼の言葉は今も何処かしら旧態然としたアメリカの中で 心を打つものがあるようだ。 ある共産圏から移植してきた人は ‘トレランス(寛容)がないアメリカは、私が好きなアメリカではない’と言う。 しかし、今静かにイントレランス(不寛容)の時代が頭をもたげてきているという。 スキンヘッドの白人青年が‘黒人だから’といって平気で殺人をする。 より組織化されたピジネスライクなKKK。 しかし、一方で37連勝驀進中のマイク・タイソンにアメリカンドリームを、 強いアメリカの夢を馳せる人々。 かつていた白人の強いボクサーが皆無に等しい今、人種を越えてタイソンは熱狂的な支援を得ている。 同じ二十世紀に生き、同じ一級で黒人のボクサーの受け入られ方のあまりの違いは 例えようのないくらい歴然としている。

ジャック・ジョンソンがチャンピオンを越えた男であることは その悲運と数奇な人生がボクサー以上の歴史の代弁者であったことにあるのだろう。 二十世紀をかけぬけたボクサーたちはそれぞれに個性も強く、なぜかその年代を背負っていた。 モハメッド・アリしかり、ジョー・ルイスしかり。 そして、アメリカン・ドリームと人々を感動させるサクセス・ストーリーは 常にどのボクサーにもあたえられた。 だが、ジョンソンにはそれがあたえられなかった。 ただ、厳しいイントレランスがおおっぴらであった現実だけがあたえられた。 その現実を誰よりも正直に生きた彼は、 栄光より誤解されやすいひとりの人間の苦しみの足跡だけを残して果てたのではないだろうか。

そして今、かのイントレランスが体裁のいいトレランスの薄い〓〓覆われている現実は、 さらに手に負えない不気味な時代ともいえそうである。

■アカデミー長編ドキュメンタリー部門ノミネート■


☆☆☆魅力的香港電影紹介☆☆☆

『男たちの挽歌』

山本

大の好きな香港電影数々あって、どれから書こうかサンザン迷ったけれど、 やっぱり思いっ切り足踏み込ませてくれたこの映画しかない!ってコトで香電の中では知名度ある (と思う)『英雄本色』から書かせてもらう事にします。

いよいよ『男たちの挽歌II』も公開という事で、 嬉しい事にキネマ旬報にバーンと企画組んでもらってりして、 おまけに李修賢(ダニー・リー)の事まで出てたりして、私は興奮状態なのであります。

さて、では続編も楽しみな『男たちの挽歌』の何が凄かったかというと、 それはもう一言で言って、メッチャメチャ、ガッチガチにカッコいーのが凄かったのです。 もーとにかく何から何まで、狄龍(ティ・ロン)から周潤發(チョウ・ユンファ) から悪役の李子雄(リー・チーフォン)まで、男と男の絆から友情から兄弟愛まで、 マシンガンからとぶ薬莢から、全てがカッコ良かった。 これが凄い!!だったのです。

大体オープニングからしてカッコいい。 お札を燃やしてそこからタバコに火をつける周潤發のキマルコト、キマルコト!!  音楽と相俟ってもー、一瞬のうちに虜です!

私は狄龍にマイったのでまず言うと、狄龍はシブい!

その後に周潤發はカッコいい! 張國榮(レスリー・チェン)はワカい!  李子雄まで白いコートで颯爽とキメていると続くワケです。 悪役がワルい程、映画が良くなる、面白くなると言うけれど、コイツの場合、 ワルい上にカッコイーから始末が良くない…!

先頃の日本映画『悲しい色やねん』も邦画には珍しい大型コンビで見栄えがしましたが、 これってば4人が4人とも180センチを超える大型個性派で、大型が日立たない程、 絵になっているのだから負けます。

ヤクザの兄貴ホー、警官の弟キット、強い絆で結ばれた弟分マーク、 次第にボスにのし上がっていく下っ端シンが男を賭けて闘う。 これに感動せずに何に感動する!?って感じ。

裏切りのカタをつけにマークが単身敵地に乗り込む時の応戦のカッコ良さ、 ムショを出たホーとマークが再会するシーンのコシ上げは見事で、勿諭、弾丸とび交い、 火の手の上がる銃劇シーンの迫力はもの凄いー!

キットのフィアンセ役で紅一点、朱寶意(エミリー・チュウ)も華とちょっぴりのユーモアを添えます。

これを見れば同違いなく、あなたも香港電影にノメリ込み、劇場で観られない作品を観るために、 ビデオSHOPに走る事になるでしょう。

尚、この『男たちの挽歌』はTV放映され、「おっ、これでファンが増えるかな!?」と期待したけれど、 残念ながら吹き替えではテンポがウマくない! 〈やっぱり香港映画は広東語で!〉が香港電影に楽しくノメリ込む方法といえるでしょう。


P.S. 皆知ってると思うけど、ジャッキーのオーディションのシーンに徐克(ツイ・ハーク=製作)が、 しつっこい刑事役で呉宇森(ジョン・ウー=監督・脚本)が出てますので、お見逃しなく。



スペイン映画祭から

『天国の半分』

監督 マヌエル・グティエレス・アラゴン
主演 アンヘラ・モリーナ

準備中
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